水鳥アヒルが溺死した
そんな不思議な出来事があるのでしょうか。あるのです。ある福祉施設で実際に起こったそうです。子どもたちがアヒルの卵を大切に育てました。ついに卵からアヒルのひなが生まれました。子どもたちは大喜びです。アヒルのひなは子どもたちを親だと思い、子どもたちの後を一生懸命追いかけました。子どもたちはさらに大喜び。
やがて「池を作って泳がせてあげよう」と皆で話し合い、池を掘り、ひなたちを放しました。ひなたちは水の上で羽をバタつかせていました。これを見た子どもたちは「さすが水鳥、大喜びしている」と大満足。ところが数時間後、池に戻ってみると、ひなたちは皆、溺れて死んでしまっていたのです。
本来、アヒルは水に強い鳥です。尾の近くから出る油をくちばしで羽に塗り、羽の間に空気を含ませることで、水をはじき浮くことができます。水の上を自由に進めるのは、その見えない備えがあるからです。しかし、人を親だと思って人に育てられたひなたちは、その大切な身の守り方を学んでいませんでした。ひなは水に入った瞬間、羽に水がしみ込み、溺れてしまったのです。
このアヒルのひなの例話は、私たちの人生にも通じます。人生という池には、不安、誘惑、人間関係の摩擦、失望、将来への焦りなど、さまざまな要素が含まれています。外から見ると平静でも、心の中では沈みかけている人も少なくありません。何の備えもなければ、人の心は簡単に重くなり、力を失ってしまいます。
「助け主」なる聖霊
聖書は、そのような私たちのために「助け主」が与えられると語っています。イエス・キリストは、ご自分が天に帰られた後、父なる神が、助け主なる聖霊を送ってくださると約束してくださいました。ヨハネによる福音書14章16節には、「父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さる」(口語訳)とあります。
この助け主とは、そばにいて支え、励まし、慰め、真理へ導くお方という意味です。困ったときだけ現れる存在ではなく、日々の生活の中で共に歩んでくださるお方です。聖霊は単なる力や気分ではなく、私たちと共にいて働かれる神ご自身です。では、聖霊は何から私たちを溺れないようにしてくださるのでしょうか。
第一に、聖霊は私たちを不信仰に溺れないようにしてくださいます。
神は目に見えません。祈っても、すぐに答えが返ってこないときもあります。苦しい出来事が続くと、「本当に神はおられるのか」と心が揺らぐこともあります。しかし、聖霊は頭だけの知識だった信仰を、心の確信へと変えてくださいます。
聖書の言葉が単なる文章ではなく、生きた励ましとして胸に届くようになります。礼拝の賛美が心に染み、祈りが神との生き生きとした交わりとなり、イエス・キリストが遠い過去の人物ではなく、今も共におられる主として感じられるようになります。信仰の喜びは、聖霊の働きによって新しくされていくのです。
第二に、聖霊は私たちを悪感情に溺れないようにしてくださいます。
怒り、嫉妬、恨み、ねたみ、自己嫌悪、諦め――こうした感情は、心を少しずつ沈ませます。相手は忘れていても、自分だけが傷を握りしめ続けることもあります。すると、心の自由が失われます。
第2次世界大戦中、家族を失い、強制収容所を生き抜いたコーリー・テン・ブームは、戦後、神の愛と赦(ゆる)しを語る伝道者となりました。ある日の集会後、自分を虐げた元看守が目の前に現れ、握手を求めてきました。彼女には到底赦すことができませんでした。しかし、心の中で「主よ、助けてください」と祈ったとき、手を差し出す力が与えられ、さらに赦しの愛まで注がれたと証言しています。
人にはできなくても、聖霊にはできます。私たちの中の固く閉じた部分をほぐし、憎しみを愛へ、苦い心を平安へ変えてくださるのです。
第三に、聖霊は私たちを人生の困難に溺れないようにしてくださいます。
人生には、病気、失敗、経済的不安、家庭問題、別れ、老いなど、避けられない試練があります。一つ乗り越えたと思えば、また次の課題がやって来る。まるで終わりのない障害物競走のように感じるときさえあります。
しかし、聖書は苦しみの中から希望が生まれてくると語ります(ローマ人への手紙5章3〜5節)。なぜなら、神の愛が聖霊によって私たちの心に注がれているからです。問題そのものがすぐ消えなくても、絶望に支配されず、困難の中で立ち上がる力が与えられます。涙の中でも、なお前を見る力が与えられます。試練が人を壊すのではなく、人を深くし、成熟させる道具へと変えられていくのです。
聖霊の助けをどう受ければよいのか
では、この聖霊の助けをどのようにすれば受けることができるのでしょうか。聖書では聖霊は油に例えられていますから、聖霊の助けは、言うならば「心のオイルケア」ということができます。
第一に、聖霊を人格あるお方と認め、人格的交流を深めることです。
聖霊は、機械を動かすエネルギーではありません。聖霊は人格を持ち、私たちとの交流を求めておられるお方です。ですから、祈りの中で「今日も共にいてくださることを感謝します」「今日もご一緒に仕事をしましょう」などと語りかけることが大切です。朝の静かな時間、通勤の途中、仕事の合間、眠る前のひとときでも構いません。短い祈りでも、聖霊との対話を重ねる人は、聖霊の助けを体験していきます。
第二に、聖霊が共にいてくださることを信じて、一歩踏み出すことです。
ただ助けを待つだけではなく、自分にできる一歩を踏み出すのです。感謝を選ぶ、赦しを選ぶ、祈る、善い言葉を語る、礼拝に向かう、誰かに親切にする。その小さな一歩を通して、聖霊は具体的に働かれます。行動しないまま変化だけを待つのではなく、御言葉に従って行動するときに、新しい力が注がれるのです。
車も機械も手入れを怠り、全く動かさなければ、動きが悪くなってしまいます。私たちも同じです。忙しさの中で魂の手入れを忘れると、魂が汚れ、動きが悪くなります。また、信仰を行動で表すことを怠れば、信仰の命は健全性を失っていくことになります。反対に、日々の聖霊との交わりと、聖霊と共に行動する生活は、私たちの信仰を健全にし、豊かな実を結ぶ人生へと向かわせてくれます。
あなたは今、疲れ切っていないでしょうか。信仰が形だけになっていないでしょうか。笑顔の奥で、心が沈みかけていないでしょうか。
聖霊は、弱さの中にある人を責める方ではなく、支えるお方です。人生の荒波の中でも、沈まないように守ってくださるお方です。あなたの信仰のオイルケアは大丈夫ですか。
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