オーストラリアの美しい海岸、ボンダイビーチ。しかし、ヤコブ・テトレロイドにとって、この場所は永遠に以前と同じ意味を持つことはない。
昨年の12月14日、ヤコブは父親のボリスと共に、ユダヤ教の「ハヌカ(光の祭り)」を祝うためにこのビーチを訪れていた。しかし、その平和な時間は銃声によってかき消された。ISISに感化されたテロリストの父子が銃を無差別乱射し、ヤコブの目の前で最愛の父ボリスの命を奪ったのだ。ヤコブ自身も肘を撃たれ、重傷を負った。
「私が撃たれた後、非常に激しく出血していました。医師が私の腕と命を救ってくれたのは幸運でした」。彼は当時をそのように振り返る。「この世に生きている以上、悲しみや死を避けることはできません。それはこの世界で生きる上での現実であり、今回のことも本当に悲劇的です」
同じ日、そのビーチには、イスラエルの戦火から家族を守るためにオーストラリアへ移住してきたばかりのアーセン・オストロフスキー一家もいた。彼は家族と離れ離れになり、頭を弾丸がかすめるという「生と死の数ミリの境目」を経験した。彼は自分が生き残ったことを「奇跡」と言った。この無差別テロにより、15人もの尊い命が奪われたのだ。
オーストラリアにおけるユダヤ人コミュニティーへの憎悪は、10月7日のハマスによるイスラエル攻撃以降、激増している。過去2年間で3700件以上の反ユダヤ的事件が記録され、ソーシャルメディア上では現在も憎悪をあおる言葉が飛び交っている。
しかし、惨劇から数週間後、ヤコブはシドニーのユダヤ人コミュニティーだけでなく、オーストラリア全土を驚かせる決断を下した。彼は、自らの父を殺したテロリストを「許す」と公言したのだ。
「私は怒りで自分を見失っているか? 憤りで何も手につかないか? 答えは『ノー』です」。ヤコブは、自らのユダヤ教信仰を通して、憎しみに支配されることは、自分自身をさらに深く傷つけるだけだと気付いた。
「誰かを許さないということは、自分がこれから前に進むために渡らなければならない橋を、自らの手で焼き落としてしまうようなものなのです」
この反ユダヤ主義の高まりに対し、立ち上がっているのはユダヤ人だけではない。シドニー聖公会のマーク・リーチ牧師は、キリスト教徒がユダヤ人コミュニティーと共に公に立つことを促す運動「Never Again Is Now(二度と繰り返さない、それは今だ)」の共同創設者となった。
リーチ牧師は、1930年代のドイツで多くのキリスト教徒が沈黙し、ユダヤ人迫害を傍観した過ちを繰り返してはならないと強く警告する。「キリスト者がこの戦いを戦う方法は、『イエスの方法』で戦うことなのです。私たちは敵を愛し、迫害する者のために祈ります。私たちは人を憎まず、復讐を求めません。不当な憎しみにさらされ、自らの力だけでは身を守ることができない人々のために、私たちは立ち上がるのです」
ボンダイビーチに日常が戻る中、ヤコブは再びこの海を訪れ続けている。痛みが消えたからではない。父の人生がここで終わり、そして自分の人生が今も続いているからだ。
「憎しみに最後の章を書かせるつもりはありません」とヤコブは言う。「神は私が生きることを望んでおられます。そして神は、私が幸せで、喜びにあふれ、自由であることを望んでおられると信じています」
使徒パウロの有名な言葉が心に浮かぶ。「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ローマ12:21)
オーストラリアのために祈ろう。突如のテロによって愛する人や大切なものを失った犠牲者と生存者に、神からの深い慰めと癒やしが豊かに注がれるように祈ろう。ヤコブが示した「許し」という力強い証しが、分断された社会に、憎しみの連鎖を断ち切る光明をもたらすように。
また、反ユダヤ主義の暗闇が広がる中で、リーチ牧師のように「イエスの道」に歩み、愛と正義をもって立ち上がるキリスト者たちのために祈っていただきたい。
■ オーストラリアの宗教人口
プロテスタント 12・6%
カトリック 25・0%
イスラム 2・5%
無神論者 23・2%
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