神を信じる私たちクリスチャンのうちには、光と闇という2つの勢力が存在しています。生まれつきの私たちは、闇の中を生きていました。闇だけしか知らなかったならば、何の葛藤もないし、平穏な生活ができます。
しかし、イエス様を救い主と信じ、光が入った途端に、戦いが始まります。その葛藤は、天国に行って、主とお会いするときまで続きます。
使徒パウロはローマ人への手紙7章で、その葛藤を次のように表現しています。
そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。(ローマ7:21)
そして、次のように嘆いています。
私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(同7:24)
一度光を知ったならば、キリスト以外のもので心を満たすことがないことを知ったのです。この思いが、人を罪から離れさせる原動力となります。そして、祈りが生まれるのです。
こうして、ローマ人への手紙7章の状態から、8章の状態に移行するのです。
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(同8:2)
いのちの御霊が光のように私たちの中に入って来られ、ご支配してくださるときに、闇は光に変わります。この地上を去って主にお会いする日までは、再び7章の状態に戻ってしまうこともあります。しかし、この戦いは、既に勝利が確定しているようなものです。なぜなら、光と闇では、光の方が圧倒的に強いからです。
夜、真っ暗な家に帰って光のスイッチを入れた途端、暗闇が一瞬のうちに光にのみ込まれるのと同じです。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)
この光が、あなたの光となって闇を消し去り、あなたを照らしますように。そして、その光を輝かせる「世の光」となりますように。
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