西アフリカのブルキナファソでアルカイダ系の過激派組織に拉致され、7年4カ月にわたって監禁されていた医療宣教師がこのほど、解放後初めてメディアの取材に応じ、その体験の一部始終を語った。宣教師は監禁中、想像もできない過酷な生活を余儀なくされたが、神に捨てられたと思ったことは一度もなかったと言い、「神はいつもそこにおられました」と証しした。
オーストラリアの公共放送ABC(英語)の取材に応じたのは、同国出身の医療宣教師であるケン・エリオットさん。2016年1月、82歳の時に拉致され、昨年5月に88歳で解放された。エリオットさんはその7年4カ月の間、砂漠の過酷な暑さと寒さ、サソリ、壊血病など、これら全てに耐えることを余儀なくされた。しかし、これほど長い監禁生活を生き延びることができた理由を尋ねられたエリオットさんの答えは単純明解だった。それは、神だった。
隣国ベナンで4年間、医療宣教に従事した後、エリオットさんは1972年、妻のジョスリンさんと3人の幼い子どもを連れてブルキナファソ北部のジボに渡り、診療所を開設した。そして40年以上にわたって、宗教や肌の色、支払える金額を問わず、訪れる全ての患者が通常レベルの医療を受けられるよう献身的に取り組んだ。
そのため、エリオットさんたちは、その多くがイスラム教徒の地元住民からも尊敬を得るようになった。自分たちの考えを押し付ける「西洋のよそ者」ではなく、地元の一員として受け入れられた。言うまでもなく、エリオットさんたちが拉致されたとき、宗教の違いに関わらず地元住民は一様に憤慨した。
ジョスリンさんも一緒に拉致されたが、数週間後に解放された。しかし、エリオットさんは監禁され続け、先に拉致され人質となっていた40歳年下のルーマニア人鉱山警備員、ジュリアン・ゲルグットさんと絆を深めることになった。
「彼(ゲルグットさん)に会ったとき、彼は既に9カ月も人質とされていました」。エリオットさんはその際、「こんなことを9カ月も我慢できる人がいるのか」と心の中でつぶやいたという。しかしその後、エリオットさんは7年4カ月も、その厳しい環境にさらされ続けることになるのだった。
過激派組織の人質であるという脅威と砂漠の過酷な環境に加え、劣悪な食生活もエリオットさんの健康をむしばんだ。足がむくみ始め、歩くこともできず、常に痛みを感じるようになった。16~18世紀の大航海時代、野菜や果物を摂取することができず、ビタミンC不足に陥った多くの船員たちの命を奪った壊血病になったのだった。
「(壊血病の)症例を見たのは私の医療キャリアで一例だけで、それは自分自身でした」。解放されてから3カ月後の昨年8月、エリオットさんは英国の歴史あるキリスト教大会「ケズィック・コンベンション」(英語)で証しをした際、そう語った。
エリオットさんがビタミンC不足を訴え、いくら懇願しても、テロリストたちは与えることのできるサプリメントはないと言うばかりだった。しかし、テロリストたちが「ボス」と呼ぶ人物が、深刻な状態に気付き、エリオットさんの足を直接見た翌朝、ビタミンCのサプリメントが5種類も寝床の近くに置かれていた。それによって、エリオットさんは劇的に健康を回復することができたという。
もちろん、テロリストたちはエリオットさんを監禁している間、イスラム教に改宗させようと試みた。しかし、エリオットさんは自身のキリスト教信仰を堅持した。過酷な砂漠で過ごす長く孤独な時間も、エリオットさんから希望を奪うことはできなかった。
「主は私に良くしてくださいました。イスラム教に改宗することで、神の御名を汚すことなど考えませんでした。改宗するふりさえしませんでした」
エリオットさんはインタビューの中で、ABCの特派員から、神に見捨てられたと思ったことはなかったかと尋ねられた。
「一度もありません。神はいつもそこにおられました」。エリオットさんは静かに、しかし確信を持って答えた。
オーストラリア政府は、身代金の支払いを明確に否定している。しかし、解放に至った経緯や、囚人釈放など、身代金以外の取引があったかどうかは不明だ。それでもエリオットさんは、自身が解放された理由はただ一つだと考えている。
「私たちが解放された唯一の理由は、数千人とは言わないまでも、数百人の人々がそのために祈ってくれていたからだと信じています。私たちは祈りを信じています」