1. 過去を忘れる
「お金を貸した人が返してくれません。裁判で取り戻してください」
「いつ頃お貸ししたのですか?」
「30年くらい前です」
「そうですか、残念ですが、すでに時効が過ぎているので、もう返済を請求する権利がありません」
お金の支払いを求める権利(金銭債権)は、民法などの法律に特別な定めがある場合を除いて「債権者がその権利を行使できることを知ったときから5年」または「債権者がその権利を行使できるときから10年」を経過したときは、時効によって消滅する(改正前の民法では、原則として、権利を行使できるときから10年、商行為の場合は5年)。
なぜこのような時効制度があるのだろうか。3つの理由が挙げられている。①現在まで永続してきた事実は尊重されるべきである、②権利を行使せずに長期に放置してきた者は保護されるに値しない、③過去の事実を証明することが困難である。
というわけで、民事問題も刑事事件も一定期間を過ぎると権利を行使できなくなる。そうでないと、孫子の代にまで紛争が続きかねない。
弁護士は過去の問題や紛争の解決を依頼されることが多いが、和解交渉や訴訟によって、過去の問題や紛争にけじめをつけ、お互いに前に向かって進むことができるようにする役割を担っている。
2. 未来に向かって進む
クリスチャン(神の子)の生き方は、後ろのものを忘れて、前のものに向かって進むことである。過去の成功や失敗、栄誉や屈辱を忘れ、朽ちない神の栄冠を得ることを目標にして、神から与えられた使命を果たすために全力で走り続けることである。要するに「過去を忘れ、未来に向かって、現在を力強く生きる」ということである。
モーセは80歳にして、エジプトで奴隷にされて苦しんでいるイスラエルの民を救い出すように主から命じられ、その使命を果たした(出エジプト3:10)。ヨシュアはおおよそ100歳ごろになって、「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている」と主から命じられ、その使命を果たした(ヨシュア13:1)。
たとえ外なる人は衰えても、内なる人は日々新しくされていく(2コリント4:16)。主を待ち望む者は、すなわち、聖霊を受ける者は、新しく生きる力をふんだんに受け、若返って鷲のように力強く飛ぶことができる。走り続けても疲れず、歩き続けてもたゆむことがないのである(イザヤ40:31、詩篇103:5)。
3. 現在を生きる
少子高齢化が急速に進み、高齢者が増えているが、まだまだできることは各方面においてたくさんある。例えば、人々に福音を伝えるというクリスチャン最大の使命の達成には特別に体力や資力を要するわけではない。家族や知り合いに、高齢者ホームの仲間たちに、入院中の他の患者さんや看護士さんに、愛と祈りをもって福音を伝えるチャンスはいくらでもある。私たちは年齢にかかわらず、聖霊との豊かな交わりの中で、いつも若々しく生気に満ち、多くの実を結んでいくことができるのである(詩篇1:3、92:14、15)。
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。(ピリピ3:13、14)
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。(2テモテ4:7、8)
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