近年、日本で災害が起こるたびに、教派を超えて支援活動グループが結成され、クリスチャンによる支援活動が増えていることを、主イエスにあって父なる神に感謝しています。主イエス・キリストの御名を褒めたたえます。
それに伴い、災害支援のための献金を集める機会も増え、健全な献金の集め方や使い方とはどういうものなのか、熟慮する機会が与えられています。というのも、不健全な使い方があるのではないかと感じているからです。
献金は多くの方の善意によるものです。主イエスの御前に低くなり、その健全な取り扱いを追求するのは、お金を集める者の責任だと思います。
以下は、「健全な資金集め」についての私見です。ご参考にしていただけたら幸いです。
● 私と災害支援活動
私は2004年のスマトラ沖地震の際、タイのプーケットで支援活動に携わる機会が与えられました。それ以来、05年のカトリーナハリケーンではベイセントルイスで、11年の東日本大震災では数年にわたり仙台市から石巻市にかけて、19年の房総半島台風では南房総で支援活動をしてきました。
災害支援の一環として、20年からのコロナ禍では、生活困窮者の方々に無償食料支援をしています。この2年間で、支援範囲は北海道から沖縄までに広がり、サポートされた資金も累計5千万円を超えています。あふれる恵みにただ驚き、主イエスの御名を褒めたたえています。
● 神から預かったお金を忠実に管理する
長年にわたり支援活動をしていますが、それでも私はいまだに素人です。災害とそれに伴う支援は、毎回違うからです。多くの人にとっても、それは同じではないでしょうか。
どのような災害支援も、資金がなければ成立しませんし、そのためにお金を集めなければなりません。強く献金をアピールする指導者もいるかもしれませんが、献金は自発的でなければならないと考えています。
私どもの教会では、アガペボックスという献金箱が一つだけ置いてあります。教会では献金のアピールはしません。ただ、聖書が献金について何と言っているかを、3年に一度くらい、講壇から分かち合うことはあります。
それでもJR国分寺駅前のオフィスビルに4つの部屋を借りることができています。コロナ禍で多くの教会の献金が減っていると耳にする中で、私たちの教会では献金額が飛躍的に伸びました。今回の能登支援についても、支援を表明しただけで、目標金額が備えられました。
以上のことを踏まえて、災害支援金を集める方々に、心から分かち合いたいことがあります。特定の人を批判するつもりは全くありません。ただ、ここでの分かち合いを心に留めていただき、神から預かったお金を忠実に使い、まことの富を任せていただくことができるお互いになることを願っています。
繰り返しますが、支援活動のためには資金が必要です。そして、集め方、使い方にも知恵が必要であることは明らかです。この分かち合いが、災害支援に関わる皆さんにとって益となると信じています。
● うそでしょ! 翌年に半分の災害支援金を繰り越すなんて
私たちの教会では、キリスト教の災害支援グループに献金をしたことがあります。1年以上たったとき、友人から電話がありました。「驚きました。そのグループは、次年度への繰越金が献金総額の半分以上あるんですよ!」と言うではありませんか。
私はがっかりしました。「そんなことのために献金をしたのではない」という思いがまずありました。私を含め多くの人が、被災地の皆さんが困っているのをテレビやSNSを通して知り、支援団体に献金しています。しかし、災害から3カ月たって献金の3分の1も使っていなければ、収支報告を見て驚くのは当然です。
また、他の災害支援グループの収支報告もそうでした。教会で事務の奉仕をしている3人が、一様に驚きの声を上げていました。「えっ、3カ月もたっているのに、10分の1しか使っていないの?!」
まさか、翌年まで献金総額の半分以上を繰り越すなんて、支援者は想定しているでしょうか。災害があるたびに何度もこのようなことがあったため、声を上げることにしたのです。
● 米キリスト教ファンドの厳しい審査
私たちは、米国のキリスト教ファンドから支援を受けています。米国のファンドによる審査の厳しさは相当なものです。
申請に際して、他の団体と比較して私たちの活動の健全性を示さなければなりませんでした。私たちは、前出のキリスト教災害支援グループの収支報告と私たちの活動とを比較し、提出しました。
「私たちの団体では、皆がボランティアなので、少なくとも貴ファンドから頂いた支援金の中から人件費を支払うことはない。その全てを、食料品や日用品、送料と雑費(ダンボール代や手数料)に充てる」さらに「頂いた資金は、全て生活困窮者のために使います。教会のイベントや運営などには一切使いません」と書きました。
今年は審査が厳しく、半数が落とされる中で、私たちには支援認可が下りました。
● それでは、献金をしてくれた人たちへの背信行為
さまざまな支援団体に集められ、翌年に繰り越した資金はどのように使われるのでしょうか。その団体の会計報告によると、イベント運営やアーティストを招くために使われた支出がありました。イベント自体は決して悪いことではありませんが、支援者の願いに本当に調和しているのでしょうか。
私たちは、託された資金は全て被災者に渡るようにしました。ただ、無償食料支援のために、教会に直接ささげられる献金からは、全体の1%以下ですが事務の人件費として使わせていただいています。もちろんその事務は、全て無償食料支援に関わることです。
多くの献金者の意向が災害支援のためだとしたら、その献金をその他のために使うことは背信行為です。神はそのことをご存じだと思います。
もし、やむを得ずイベントなどに使用するのならば、最初から財布も振込先も2つに分ければスッキリすると思います。一つは純粋に災害支援のために使う献金、二つ目は教会が提供する被災者向けのイベントのための献金。このように、最初から振込先を分けることによって、献金する側の意思が尊重されると思います。また振込金額の差によって、資金支援者の意向が明らかになります。
イベントにも2種類あると思います。一つは被災者のところまで行って、炊き出しのフェーズで行うコンサート。それは災害支援に含めてもいいと思います。
一方で、支援活動のフェーズが進んで、教会や公的施設で開くコンサートに謝礼を払ってクリスチャンアーティストを招くようなイベントは、「災害支援の献金」を適切に使っているとは言い難いと思います。もしそのようなイベントをするならば、「被災者を励ますイベントのための献金」のくくりにすれば、資金を献金する人たちの理解が得やすいと思います。
さらには、「教会のため」といって定義を曖昧にし、どんなことにも使えるようにしている団体も見受けられます。神から預かったお金は忠実に使わなければなりません。被災したキリスト教会堂の修繕のためなら、それはもちろん、災害支援の枠に入ります。その場合は、他教団や他教派の教会堂であっても支援するのが望ましいでしょう。それが「教会のため」という定義であれば、何の問題もないでしょう。
しかし、「災害支援」という名目でお金を集めながら、災害支援と関連があるとはいえ、復興のフェーズが進んで被災地を励ますために行うコンサートに、本来は被災者本人たちに使う必要があった資金の多くを回すことは不適切だと思います。
誤解のないように申し上げますが、コンサートや伝道集会は素晴らしく、神が喜ばれるものです。しかし、災害支援金は被災者の直接的な必要に使われるべきであって、二次的な励ましであるコンサートには、その多くを使うべきではないということです。
支援活動に対する資金の提供が遅れ、資金の半分以上が復興のフェーズの進んだ翌年に繰り越されて、仕方がないからコンサートや伝道集会などに回すというのは、お金を預かった立場の者としては、誠実とは言い難いと思います。
ですから、以上のように「緊急災害支援活動」と「被災者を励ます教会イベント」と用途を分け、振込先も分けて献金を集めるならば、献金する側の意思も尊重されることになるでしょう。
● どうすれば健全なのか
ここからは、ではどうすればいいのか、私見を述べたいと思います。
集めた災害支援金は、なるべく早く使うのが健全です。なぜなら、災害直後が一番、被災者が困っているからです。もちろん、すぐに活動できないさまざまな事情があるでしょう。「プッシュ型支援をする人たちが来て道が渋滞した」「地方自治体が、ボランティアが来るのを自粛するように発表した」など。
しかし、いかなる理由があろうとも、前述したような事情を踏まえた上で資金を集めているという事実があります。支援活動は初月が勝負。そこで3分の1の資金を使い切る覚悟が必要です。どんな事情があってもしなければならないことです。資金のほとんどは、12カ月以内に使うのが好ましいでしょう。
援助したい人々からお金を集めているのですから、責任があります。お金を集めた支援団体は、その資金を本当に困っている人たちのために使うことが求められるのです。
しかも、資金が多額になることが予想されるのであればなおさら、用途を熟考しなければなりません。最初から「教会のためにも使います」と言って逃げ道を作ってはならないのです。そして被災した教会のためには、それがたとえ他教派のものであっても支援するという覚悟が必要です。
以前、ある老齢福祉施設を開設したクリスチャンの方の心の苦しみを耳にしたことがあります。その施設の理事たちが、すでに入所していた自分たちと違う教派の老齢教職者をその施設から追い出したというのです。
これは、神に喜ばれることではありません。もし、困窮者を支援する、または、そのために資金を集めている団体であるならば、どこの教団・教派であろうと、分け与える必要があります。被災者個人に関してもそうです。その人がクリスチャンであろうがなかろうが、彼らのために預かった資金を惜しみなく使うことが求められると思います。
● そのために、幾つかの工夫が必要でしょう
まず一つ目として、支援活動について物事を判断することのできる人を現場に派遣する必要があります。支援活動を指導した経験があり、物事の良し悪しが判断できる人です。どこででも寝泊まりでき、現場を見て回れる人です。教団や団体を先入観で見ることなく、健全な働きをしている団体を見分けることのできる人です。
現場のリーダーがボランティアの一人なのか、もしくは、集めた献金の用途を決済できる人なのか。それによって、災害支援のために集めた献金を使うスピードは変わってきます。東日本大震災では、信仰で踏み出して翌週から仙台や石巻市に行きました。仙台の警察署から緊急車両通行許可書を頂き、自衛隊の方々ががれきを撤去した後、いろいろな場所を訪問して物資を配ったり、津波の被害を受けたお宅を片付けたり、泥出しなどをしました。
つまり、その時は私が神に呼ばれた発起人であり、支援活動場所を決めるリーダーであり、国内外からの支援チームを受け入れ、多くの献金を受け取る唯一のコーディネーターだったのです。これは非常に分かりやすいケースでした。
多くの場合、現場に張り付きながら、同時に全体を動かすコーディネーターであることはまれだからです。多くの災害支援では、地域の牧者が相談して決める場合が多いかと思われます。教会の垣根を越えて相談することは麗しいことです。神は、そのことを喜ばれると思います。
しかし一方で、災害支援活動の献金の用途に関しても、最初に「合議」で決めたことなので、その後も合議で決めることが続くことになります。それ自体は悪いことではないのですが、忙しい牧者のスケジュールの中では、物事が決まるスピードは前出の私のケースと比べれば格段に落ちると想像します。神が集めてくださっている資金を惜しむことなく、「この人たちは本当に支援の仕事をしている」という人や団体に速やかに配ることが大切なのです。
第二に、プロの会計士を雇うことを提案します。プロの会計士を雇うことによって、お金に透明性を与え、そのプロセスの風通しがよくなり、配る側も受け取る側も、安心してお金を授受できるのではないでしょうか。実際に東日本大震災の時には、ある団体がこの方法を取り入れて、スピード感を持って資金の授受ができたそうです。
● まとめ
災害があるたびに支援のグループが立ち上がり、資金が集められています。そして、多くのお金が集まりますが、用途を探るスピードが遅く、結果としてお金が使い切れず、1年たっても半分くらいしか使えない。そんなことを見聞きするたびに、心を痛める人たちがいるのです。
決してプロであるとはいえませんが、20年以上支援活動に関わらせていただいたこの者の声に耳を傾けてくださる方がいれば、とても幸いです。さらにいえば、主イエスの声に耳を傾けてくだされば幸いです。主イエスが、皆様に語りかけてくださいますように。
あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。(ルカ16章11節)
◇