困難に耐えながらもストットは、中国の温州に腰を据え、33年間にわたり熱心に福音を伝え続けた。彼はとりわけ、孤児や貧しい子どもたちのために尽くし、温州で孤児院を開設し、彼らを世話し、教育の機会を与えることで福音を伝えた。(前回はこちら)
当時の中国では、貧困や迷信から多くの子どもが捨てられる状況があった。これらの孤児たちは、ストットの目には「高価で尊い宝物」以外の何者でもなかった。ストットは、孤児たちを励ますために義足を外して自分を見せ、「私も不具な者だが、主はこんなにも私を愛してくださっている。片足の者をさえ愛してくださる神が、なおのことお前たちを愛してくださらないことなどあるものか」と説き、孤児たちに希望を与えた。
孤児たちはストットを「片足のお父さん」と呼び、彼に深い信頼と愛情を寄せていたという。この孤児救済の活動を通じ、多くの子どもたちに福音が伝えられたのだ。最初は小さな規模だったが、徐々にストットの働きは広がり、温州に教会が設立されるようになった。
1888年、ストット夫婦は英国に休暇で戻った。この時ジョージの健康状態が悪化し、彼はがんと診断された。1年以上の闘病生活を送ったが、神はストットをご自分のみそばに引き寄せ、彼は33年の宣教の生涯を終え、主イエス・キリストの栄光に入れられた。ストットの最期をみとった医師は、次のように語っている。
「痛みから解放された瞬間、ジョージは弱々しくも静かにはっきりとこう語りました。『主が近くにおられるので、いっさいの疑いや恐れがありません。苦しんでいるのはこの体だけで、私の霊は今、喜びと感謝に満ちあふれています』『主がご自身の尊い血潮で私の罪を洗い落としてくださって以来、私には神への愛と感謝しかありません。今は雲一つない太陽が輝いています』。片足の宣教師ジョージ・ストットは、このように揺るがぬ信仰とたゆまぬ希望を抱きながら、谷を下りて行ったのです」(次回に続く)
■ 中国の宗教人口
プロテスタント 6・4%
カトリック 1・6%
無宗教 44・4%
儒教 28・5%
仏教 12・5%
イスラム 1・9%
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