父親の手伝いで、森の木を切り倒したり、畑仕事をするうちに、エイブの腕の筋肉は固く締まり、力では彼にかなう者はいないと村中の評判になった。
「ちょっとエイブさんの手を借りたいんだがね」。手が足りないとき、農家の人々はよく父のトーマスにこう言ってはエイブに手伝ってもらった。エイブはそのたびにその農家に手伝いに行き、その家の人が驚くほどたくさんの農作業をして帰ってくるのだった。
彼はまた遊ぶことも好きで、村の若者たちと相撲を取ったり、駆けっこをしたりしたが、勝っても少しもいばることなく、年下の者に親切にしたり、よく面倒を見たりするので、村中の人から愛され、人気者となった。
「神に感謝、人に親切」。亡くなった最初の母ナンシーがよく口にしていた言葉を思い出して、エイブはつぶやくのだった。
そんなある日のこと。いつものようにエイブが家の前で薪を割っていると、目の前の道を、家財道具を山のように積んだほろ馬車がやって来た。車は凹凸道を揺れながら進んできたが、突然ガタンと大きくかしいだかと思うと、止まってしまった。
中からでっぷり太った男が飛び降り、むちを振り回したが、馬は前足を宙に躍らせるきりで、車は動かなかった。「ああ、何てこった!」男は叫んだ。これを見ていたエイブは、一目散に木立の間を駆け抜けて近づいた。
「やあ、いいところに来てくれた。車輪が石ころ道のくぼみにはまり込んでしまったんだ。すまんがこの手綱を持っててくれないか。わしが車を押し上げるから」
その時、エイブは言った。「それよりか、おじさん、ぼくが車を押し上げてあげるよ。だから、しっかり馬を押さえていて」
そう言うなり、エイブは両足に力を入れて踏ん張った。そして、体を弓のように反らせ、腕の筋肉を今にもはち切れると思われるほど盛り上がらせて車輪を押し上げようとしたが、持ち上げることができなかった。
しかし、エイブは諦めなかった。ウーンと声を振り絞りながら、何度も何度も挑戦するうちに、ようやく車輪を持ち上げることができた。そして、力いっぱい引き出すと、ついに馬車はガラガラと音を立てて動き出した。
「ああ、ありがとう。おかげで助かったよ」。男はしっかりと彼の手を握り、1枚の銀貨をつかませた。
エイブはもらった銀貨を握り締め、急いで家に帰ると、父に全てを話した。すると、父は言った。「それはおまえの善行に対する神様のご褒美だよ」。これで好きな本が買える――と、エイブはうれしさで飛び跳ねながら、また薪割りに専念するのだった。
翌朝、エイブが外に出てみると、昨日のほろ馬車がまだそこに止まっていた。
「おはよう。昨日はありがとう」。男が言った。昨夜はここで野宿し、これから自分の町に帰るのだという。
その時、ほろの破れ目から12、3歳くらいの女の子が顔をのぞかせた。「やあ」とエイブが声をかけると、女の子もにっこり笑った。その手に一冊の本を持っている。
「昨日はありがとう。助けてくれなかったら、あたしたち、町に帰れなかったわ」。「いや、困っているときは当然だよ」。そう言ったとき、エイブの目は女の子が持っている本に注がれた。「それ・・・何の本?」
「アメリカを独立させたワシントンのことが書いてあるの」。女の子はそう言って、窓越しに本を見せてくれた。『ワシントン伝』と表紙に書いてある。
「ちょっと見せて」。思わずエイブは本をペラペラめくり、盗み読みした。ページがくっついているところは、自分の指をなめてめくりながら、次から次へと進んでいった。
そのうちに、馬車が動き出すという合図があったので、あわてて本を返そうとして、はっと気が付いた。「やあ、ごめん! どうしようかなあ?」指をなめてページをめくったものだから、指のあとがくっきりついてしまっていた。
「いいのよ」。女の子はにっこりして本を受け取って言うのだった。「困ったとき、あなたが助けてくれた記念に、大切にしておくわ」。そして馬車は動き出した。
*
<あとがき>
「神に感謝、人に親切」という言葉は、最も単純で、麗しい信仰生活の在り方を示しています。ロシアの文豪トルストイはこの言葉を『民話』の中で信仰のあつい農夫の口を通して語らせています。
リンカーンの生みの母ナンシーも生前好んで口にしていたといわれます。この言葉の重みは少年エイブに受け継がれ、実を結んでいます。リンカーン家の家族にとって、神に感謝することと、人に親切を尽くすことはまさに同じ重みを持っているのでした。
そんなある日。彼は目の前でほろ馬車が石ころ道のくぼみに車輪を挟み込ませてその主人が困っているのを見、すぐに飛んで行き、ありったけの力を振り絞って無事馬車の車輪を引き出すことができました。
主人は大変喜んで、彼に銀貨をくれました。それで本が買えるとエイブは喜んだのですが、この時、彼はもっと素晴らしい贈り物をもらったのです。それは、馬車に乗っていた少女が『ワシントン伝』を見せてくれたことから、エイブの夢と将来の道備えができたのでした。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。