24年前の9月5日、英国南岸の裏通りにある倉庫で、何の変哲もない普通の学生たちが24‐7(24時間7日間)の祈りの部屋を立ち上げた。この小さなきっかけから、祈りのムーブメントが始まり、多くの国々に広がった。
英国に拠点を置く24‐7プレイヤーの創設者、ピート・グレイグが当時を振り返る。
「18世紀のモラヴィア兄弟団が100年間も祈り続けたことに感銘を受けます。彼らが100年続けられるなら、私たちも1カ月くらいは続けられるかもしれないと考えました(もし1週間で諦めたとしても、6日半も祈り続けたことになるのですから)。
私たちは、記録を塗り替えようとしたわけでも、ムーブメントを起こそうと思っていたわけでもありません。ただ、祈ることを学びたかったのです。それは、2つの非常に厄介な発見をしたからです。
一つ目の発見は、祈りこそは人生で最も大切なものだということでした。別に深く考えなくても、これは真理だと誰もが認めるのではないでしょうか。奇跡が必要なとき、導きが必要なとき、神様が本当にいるのかどうか分からないときなど、どれほど祈りが大切なのか分かると思います。
二つ目の発見は、世界で最も重要なことでありながら、私たちは恥ずかしがったり、苦手としていることです。私たちは祈りに関して、怠惰で、気が散り、混乱していたのです。
そして、1999年9月5日、この日、私たちは人生を変える決断をしました。私たちは、祈りのための特別な部屋を用意し、1カ月を、時間ごとに区切って祈ることを始めました。最初の数時間は天国のようだったと言いたいところですが、そうではありませんでした。退屈で、恐ろしい時間でした。祈るべき言葉はすぐに尽きました。丸一日、ましてや丸一カ月、いったいどうやってこれを続けることができるだろうと、目の前にそそり立つ壁があるように感じていました。
しかしある時、何かが変わったのです。うまく説明できないのですが、1人で、あるいは2人1組で部屋を使うようになると、夜中のある瞬間に、神が共におられることのリアリティーを発見したのです。私たちは内側からの促しに委ね、創造性と沈黙をもって、言葉を使わずに祈り、礼拝するようになりました。そして次第に、私たちがとても難しいと感じていた「祈り」が、簡単にできるようになったのです。祈りは、楽しく、エキサイティングにさえなってきました。雰囲気も変わり始めました。祈りの部屋は平安に包まれ、できないことなどないという感覚に包まれました(これが信仰というものなのでしょう)。
数日のうちに、エキサイティングな話が出回るようになりました。無神論者がやって来て、そこで神の存在を体験しました。ある人は、ある日突然クリスチャンになり、次の日には2時間も祈り続けていました。アンナという少女は、そこで天使が祈っているのを聞いたと言い、ビッキーという女の子は天使を見たと言って、畏れで顔を真っ赤にさせていました。
私は「The Vision」という詩を書いて壁に貼りました。それは、私たちに起こっている奇妙なことを理解しようとしただけのものでしたが、その詩は1カ月もたたないうちに、DJにサンプリングされ、ワシントンDCのキャピタルモールで行われた「The Call」という大規模集会で演奏され、スペインではダンスの振り付けがなされ、中国では地下教会の新聞に掲載されたのです。
祈りの部屋での1時間が、まるで10分くらいに感じられると報告する人が増えてきました。祈りが答えられたのです! 奇跡が起こったのです! 祈りの部屋に行くと、神様が動かれたという真新しい話を聞くことができ、わくわくするようになりました。
そして、祈り続けて3カ月目、神様がくしゃみをされ、祈りのウイルスは私たちの知らない場所や、会ったこともない人たちに広がり始めました(このような話は『Red Moon Rising』や『Dirty Glory』などの本で読むことができます)。
今ここでこのように書いていること自体が信じられないことですが、あれから二十数年たち、私たちはかつてないほど急速に成長しています。最初の祈りの部屋は、どういうわけか何百万人もの人々に影響を与えました。刑務所、宮殿、学校、大聖堂などに自力で種をまきました。祈りのムーブメントは地球上の半数以上の国と、救世軍からカトリック教会に至るまで、あらゆる宗派に及んでいるのです。
この奇妙な偶然の運動は、学校内の祈りの空間から24‐7イビサ(観光で有名な地中海の島)まで、新しいミニストリーやムーブメントを始動させました。その結果、教会、祈りの家、現代の修道院など、24‐7コミュニティーの世界的なファミリーを誕生させることができました。
アプリや記事、ディボーション、学びのコース、ベストセラー本に至るまで、何千人もの人々が最初の祈りの部屋で私たちがしたように神と出会うのを助けるために、多くのリソースを作成し、参画してきたのです。また、24‐7は、古くからあるモラヴィアの「からし種教団」を再興し、昨年、英国国教会の主教・修道院から正式に承認されました。
私自身は今日、振り返ってみるとき、多くの友人たち、そして特に主への感謝の念に圧倒されます。主は本当に「私たちが願うところ、思うところの全てをはるかに超えて、計り知れないほど多くのこと」(エペソ3章)をしてくださいました。主は本当に、全く、完全に忠実な方です。二十数年前、あの倉庫で祈り始めた最初の数時間から考えるなら、全く想像もできなかったことです。それは、時に怖くもあり、深く、刺激的で、エキサイティングな道のりでした。
その道のりで、私たちは多くの間違いを犯しましたが、一つだけ正しいことがあります。私たちはどんなときにも、聖霊に ”イエス” と言うことをやめませんでした。聖霊が何かをするように言われたときはいつでも、私たちはそれを実行しようとし、その結果は信じられないものだったのです。もし今日、聖霊があなたに何かをするように言っているのなら、さあ、それを実行に移しましょう!」
祈りのムーブメントがいかに広がっていったのかを伝えるピート・グレイグの素晴らしいレポートだ。
普通の学生たちの、何の野心も野望もない純粋な祈りの運動は、それが始まったときには、まさにからし種ほどの小さなものだった。しかしそれは、二十数年の時を経て、世界中の神の子どもたちを巻き込んで、地球規模的な広がりを見せ、大きな実を結んでいる。
主イエスは言われた。
「まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません」(マタイ17:20)
主が要求されるのは、強靭(きょうじん)で大きな信仰ではなく、からし種ほどの小さな普通の信仰だ。小さな信仰であったとしても、全知全能の真の神につながるなら、やがてそれは山をも動かす結果に至るのだ。
若者でこの課題を読んでいる者がいるなら、小さな信仰でも無限にして全知全能なる方に、その信仰を持っていっていただきたい。また若くない者でも、全能の神は、人生の黄昏時を最も美しく彩ってくださる。私たちは、からし種ほどの者に過ぎないが、そのままで神のみもとに行こう。主が考えられないような実りをもたらしてくださる。
英国で始まった祈りのムーブメントは、世界を覆うような大きなうねりとなった。これらの祈りの霊的連鎖がさらに世界を包み、終末的な収穫につながるように祈っていただきたい。
■ 英国の宗教人口
英国教会 36・2%
プロテスタント 8・3%
カトリック 8・6%
無神論 34・5%
正教 1・1%
ユダヤ教 0・4%
*
「The Vision」
それで、この男が近づいてきて言ったんだ、
「ビジョンは何だ? ビッグ・アイデアは何だ?」
僕は口を開き、こう言った。
「ビジョン?」
ビジョンはイエスだ――執拗(しつよう)に、危険なほどに、紛れもなくそれはイエスだ。
ビジョンは若者たちの軍隊。
枯れ骨が見えるって? 僕には精強な軍隊が見える。彼らは物質主義から解放されている。
彼らは9時5時の小さな牢獄を笑う。月曜日はキャビアを食べ、火曜日はパンの耳をかじる。彼らは気付いてさえいないが、マトリックスの意味を知っている、つまり西部がいかに征服されたかをね。
彼らは風のように移動し、国々に属している。パスポートは必要ない。人々は鉛筆で住所を書き、奇妙な彼らを不思議がる。
人々は自由だが、傷つき、汚れ、死にゆく者として奴隷になっている。
そのビジョンは何だ?
ビジョンとは、目を傷つけるほどの聖さ。子どもを笑わせ、大人を怒らせるもの。星に手を伸ばすために、最低限の誠実さというゲームは、とうの昔に諦めた。良いものをないがしろにし、最高のものを求める。それは危険なほど純粋だ。
あらゆる秘密の動機、あらゆる私的な会話から光がちらつく。それは自殺行為やサタンゲームから人々を遠ざける。大義のために命を捨てる軍隊だ。兵士たちは、1日に100万回だって、あえて負けることを選ぶ。いつの日にか、忠実な息子、娘たちに贈られる「よくやった。忠実な者よ」という言葉のために。
これらの英雄たちは、月曜の朝も日曜の夜と同じように過激だ。彼らは名声を必要としない。代わりに彼らは、静かに上を見上げてほほ笑み、群衆が何度も何度もこう唱えるのを聞く、「行け!行け!行け!」と。
これはアンダーグラウンドの音。歴史を刻むささやき。揺れ動く礎。革命家たちが再び見る夢。ささやく者たちの奥義の計画。息づく陰謀。これこそアンダーグラウンドの音。
そして軍隊は弟子の道を行く。体をたたいて服従させる若者たちだ。
全ての兵士は戦友を守るために銃弾を受ける。彼らの背中に刻まれたタトゥーは「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益である」と言って誇るのだ。
犠牲は、彼らの見上げる視線に、勝利の燃料を投下する。勝利者、そして殉教者、いったい誰が彼らを止められるのだろう。ホルモンは彼らを阻止できるのか? 失敗は成功にならないか? 恐怖が彼らを脅かすのか、死が彼らを殺すのか?
そしてこの世代は、語り尽くせないほどのうめき声、戦士の雄たけび、硫黄の涙、そして大笑いしながら、瀕死の男のように祈るのだ!
待ち、見張る、24‐7‐365
どんなことでもする:ルールを破る。凡庸さをその居心地の良い小さな隠れ家から揺り起こす。自分たちの権利と貴重で小さな過ちを捨て、レッテル貼りを笑い、本質のために断食する。広告主は彼らを型にはめることはできない。ハリウッドは彼らを拘束できない。真夜中のパーティーの同調圧力は、彼らの決意を揺るがす力にはならない。
彼らは信じられないほどクールで、内面は危険なほど魅力的だ。
ルックス? 彼らはほとんど気にしない。衣装のような服を着るのは、コミュニケーションとセレブレーションのため。決して隠れるためじゃない。自分のイメージや人気を捨てることができないって? 彼らは、地獄のような罪を犯した死刑囚と席を交換するために、自分の命をささげるというのに? 電気椅子のための玉座さ。
彼らは、血と汗と多くの涙を流し、眠れぬ夜と実りのない日々を過ごしながら、彼らの全ては神にかかっているかのように祈り、全ては自分たちにかかっているかのように生きる。
彼らのDNAはイエスを選ぶ(彼が息を吐くと、彼らは息を吸う)。彼らの潜在意識は歌う。彼らはイエスに輸血された者。彼らの言葉は、ショッピングセンターの悪魔に悲鳴を上げさせる。
聞こえないのか? 変人どもを召集せよ! 負け犬と変人を召集せよ。恐怖におびえ、忘れ去られた者たちが、目に炎を宿しながらやって来る。彼らは背筋を伸ばして歩き、木々は拍手を送り、高層ビルはお辞儀をし、山々は異次元の子どもたちに矮小化される。
彼らの祈りは天の猟犬を召喚し、古代のエデンの夢を呼び起こす。
そして、この夢は実現する。それは実現し、容易に実現し、すぐに実現する。なぜ分かるのか? なぜなら、これは全被造物のあこがれであり、御霊のうめきであり、神の夢そのものだからだ。私の明日は、彼にとっては今日なのである。
私の遠い希望は彼の3D。私のささやくように弱い信仰の乏しい祈りは、無数の天使たちから、信仰の英雄たちから、キリストご自身から、雷鳴のように響き骨を震わす大いなる「アーメン!」を呼び起こす。そして、彼こそが元祖夢想家であり、究極の勝者なのだ。
保証する。