見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。神もまた、私の救いとなってくださる。神を敬わない者は、神の前に出ることができないからだ。(ヨブ記13:15、16)
鹿児島市内にキリシタン墓という歴史遺跡があります。江戸時代に徳川幕府は250年間、キリシタン禁制をしていました。キリスト教への迫害はすさまじいものがあり、信仰していることが分かると、本人の命が奪われるだけではなく、親族にも迷惑がかかりました。多くの人が棄教せざるを得ない状況でした。
その中で、潜伏キリシタンとして命懸けで信仰を守り抜こうとした人々がいました。表向きは仏教徒に偽装し、隠れて礼拝する人もいました。また中には、代を重ねるうちに、仏教に同化していく人もいました。
厳しい環境下で、信仰を守り抜いた人々が一番多かったのは、長崎、島原、五島列島でした。江戸幕府が倒されて、新政府が樹立されたとき、数百人がキリシタンとして名乗り出てきたのです。
倒幕により、徳川の法律は無効になったはずなのに、新政府はそのまま取り締まりを止めなかったのです。長崎で捕らえられた人々は船に詰め込まれ、鹿児島に移送され、島津家のお寺に連れてこられました。
無理な移送のために体調を崩し、亡くなった人も数十人いました。また、連れてきた人の中に妊婦もいたため、お寺でお産した人もいました。そのようなわけで、福昌寺跡にキリシタン墓が残っているのです。
岩倉具視、大久保利通など新政府の主要メンバーは約2年間かけて欧州視察を行いますが、キリシタンの扱いについて各国で非難されました。同行メンバーで話し合いましたが、250年続いたキリシタン禁制をどのように解除したらいいのか結論が出なかったそうです。
島原のキリシタンたちは、新政府の留守番役、西郷隆盛に禁令を解除しくれるように手紙を出しました。西郷は「倒幕により、徳川のお触書は無効になっているから、キリシタン禁制の高札を撤去するように通達を出します。高札がなくなれば、何も特別なことをしなくても信教は自由になります」という返信を送っています。
鹿児島県鹿屋市に星塚敬愛園というハンセン病棟があります。この中にキリスト教の教会があります。私は神学生の頃からここの教会と関わりを持たせていただきました。もともとは聖公会の宣教師が伝道してできた教会なのですが、戦後、福音派の宣教師が伝道に加わりました。
ハンセン病は皮膚病ですが、感染を恐れて隔離されていました。しかし戦後、米軍が特効薬を持ち込んだため、らい菌はほとんど死滅したといわれます。特効薬の使用を間違って多量に投入しましたので、副作用で腕が曲がり、顔が歪み、外見のために差別を受けたといわれます。
戦後やって来た宣教師は、特効薬のせいで感染しないことを知っていたので、握手し、自分の子どもを療養所に連れてきました。患者たちは最初驚きましたが、説明を聞いてとても喜んだそうです。いろんな宗派のクリスチャンが支援してくれましたので、どこにも所属しない単立教会になったのです。
この教会を訪問して、とてもショッキングな話を耳にしました。終戦直後、特効薬が持ち込まれ、感染しなくなっていたにもかかわらず、日本政府は30年間、感染症扱いを解除しませんでした。そして、患者の強制収容手続きを止めませんでした。
強制収用されますと、もともとの戸籍から抹消され、名前も奪われます。そうして偽名が与えられます。女性は強制的に不妊手術を受けさせられます。一連の手続きの途中で精神を病む人もいます。そのような人を収容するのが小羊寮だと聞きました。
これは私が新米牧師だったときに、以前療養病棟で働いていた看護師から聞いた話ですが、不妊手術をしても妊娠することがあったそうです。お産の時に医師の指示で赤ちゃんを窒息させて、アルコール入りの瓶に研究用として保存したそうです。信じられない非人道的な話ですが、医師はただ当時の法律に従っただけだといいます。
ある時、どうしても窒息させられなくて、仮死状態の赤ちゃんをタオルにくるんで隠し、自宅に持ち帰って、蘇生させたそうです。自分の実子として役所に届け、育てましたという告白をされました。お話を聞いたとき、その子どもは成長して小学生になっていました。私にはとても重い話で、ショックで何も言葉をかけることができませんでした。
政府は薬の効用が分かってから30数年間放置し、無為無策のために多くの患者と家族を苦しめました。裁判闘争の結果やっと非を認め、厚生大臣が謝罪し、賠償金が支払われました。しかし、失われた時間と傷ついた心は、お金では元に戻りません。
星塚敬愛園の中にあるプロテスタント教会は、園内に教会堂を建てていますが、土地は国から借りています。借地契約書には、国の都合により建物は撤去しても構わないという項目があるそうです。カトリックは園内ではなく園に隣接する土地を購入して、教会堂を建てています。国の政策が変わるかもしれないから、教会の土地を確保していると聞きました。
世界史で見ても例がないほどの激しい迫害を受けながら、潜伏キリシタンが250年間、信仰を持続できたということは驚異的なことだと思います。このような土台があるから、長崎のクリスチャンは素晴らしい働きができます。
家族との縁を断ち切られ、社会的に抹殺される形でハンセン病の収容施設に放り込まれた方々は、レベルの高い信仰を持ち、関わりのある人々に大きな霊的感化を与えてこられました。絶望の中に希望を見いだせる実例が国内にあるということは、大きな恵みです。
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。(2コリント4:8、9)
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