数年前の話だが、オープンドアーズが伝えたインドネシアのヒンズー教の僧侶の、盲目の娘の驚くべき物語を紹介したい。
インドネシアのロンボク島のヒンズー教徒には、イスラム教徒と同じように、ヒンズー教を棄てた者を罰する厳しい規則がある。ヒンズー教出身の信者たちは、イエスに従ったことで家族や遺産を失い、村での居場所を失っている。その一人が、人生で最も困難な時期にイエスに出会った26歳の少女、アンドリアだ。
アンドリアは17歳のとき、突然視力を失った。当時、彼女は西ロンボクにある地元の高校で期末試験を受けようとしていたところだった。家族はお金がなく、彼女を近くの病院に連れて行けなかった。数年後、ようやく診察を受けると緑内障だということが分かり、すでに治療は手遅れで、アンドリアは失明してしまった。まだ若かった彼女は大きなショックを受け、失望感にさいなまれた。
「私は書くことが好きでした。地元の雑誌にたくさんの短編小説を送り、学校では作文コンクールにも出して一等賞を受賞しました。書くことにとても興奮し、作家になることを夢見ていました。でも、視力を失ってから全てが変わってしまったんです」
彼女は、目は体の中で最も重要な器官だと信じていた。誰かに頼らなければ、日常生活を送るのもままならなくなってしまった。学校に通い続けることもできず、作家になる夢も断念せざるを得なかったのだ。彼女はそんな自分の状態を決して受け入れることができなかった。
「その当時、神(シヴァ)は公平でないと感じました」とアンドリアは述べる。「私はシヴァを憎んでいました。私は熱心なヒンズー教徒でした。父はヒンズー教の僧侶だったので、私は誰よりも熱心にヒンズー寺院に通っていました。ヒンズー教の儀式は全部やりました。ヒンズーを信奉するあまり、他の宗教を憎んでいました。そんなに熱心に仕えていたのに、シヴァが私を盲目にしたことにすごく腹を立てていました。それ以来、もう寺院には行かなくなりました」
4年間、アンドリアは絶望の中で、何もしたくないと思いながら、泣いてはため息ばかりついていた。
2008年8月のある朝、彼女は野菜売りのおじさんに出会い、こう告げられた。「お嬢ちゃんは気が付いていないだろうが、ある方が、こよなくお嬢ちゃんを愛してくれているよ」。その言葉に驚いたアンドリアは、その「ある方」のことを尋ねた。
その日の午後、その売り子のおじさんは、彼の地元の宣教師と一緒に来て、イエスの愛についてアンドリアに説明してくれたのだ。その時、アンドリアは初めて「自分は愛されている」と感じたそうだ。
その後、その宣教師は週に3回、彼女の家に来て、聖書の言葉を伝えてくれた。そしてその1カ月後、彼女はバプテスマを受ける決心をしたのだ。「私は改宗したことを誰にも言いませんでした。父はヒンズー教の僧侶で、叔父もヒンズー教の高僧でした。私の弟だけが私の改宗を知っていましたが、彼自身も信者になり、その後は仕事のために別の島に移りました。母と父は別居していたので、母には言いませんでした」とアンドリアは振り返る。
彼女は自分の改心を表立っては父に言わなかったが、父は娘の変化を見抜いていた。「父はイライラするときやお金がないとき、私を殴るんです。以前は父に理不尽に殴られると、怒りのあまり泣いていたのですが、今は変わりました。殴られることは今もありますが、娘として、父に尊敬と愛情を示すことができるようになりました。父も私の変化に気付いていると思います」
しかしアンドリアの家族は、彼女がキリスト者と友達になって聖書を読んでいることを知るようになった。それで彼女は、家族からも暴力を受けるようになり、脅しも受けた。もし彼らが、アンドリアがすでに洗礼を受けた信者であることを知ったなら、彼らはおそらくもっとひどく怒るだろう。
「私は家族のために、まだ寺院に行くでしょう。でも、私はそこで精霊や先祖に祈るのではありません。イエスにだけ祈ります。だから親族は誰も私の改宗を知リません。でも、彼らはやはり疑いの目で見ています」と彼女は言う。
回心したアンドリアは、定期的に現地の宣教師と会い、聖書を読み、イエスについて学んだ。以前のアンドリアは、自分の失明を恨めしく思っていた。しかし彼女は、今でも状態は変わらないが、感謝するようになったのだ。
「何があろうと、イエス様は私を愛してくださっている。もし、私が盲目であることを主が許されたのなら、それには目的があります。治してくださいとは祈りません。主には計画があると信じているからです」
アンドリアの父親はヒンズー教の僧侶として働いていたため、安定したサラリーはもらえなかった。そのためアンドリアは、家族を養うために働かざるを得なかった。
「近所の家に行って洗濯やアイロンがけをしたり、食料品や電話券を売ったりしていました。最初は、隣人に神の言葉を伝える方法を考えていました」「それで私は祈りました。神は私に近所の人のために洗濯とアイロンをかけるというアイデアを与えてくれたんです。この仕事を通して、私はお客さんの家の中に入り、イエス様の良い知らせを伝える機会を得たのです」
毎日、アンドリアはキリスト教のラジオ番組を聴いて、霊的に成長した。地元の宣教師も定期的に訪ねてくれるので、聖書についても学ぶことができた。「私は彼女(宣教師)のことをお姉さんだと思っています。本当に大好きです。時々、父の機嫌がいいと、彼女の家に何日も泊まりに行き、イエス様についてたくさん学びます。でも家に帰ったら、お姉さん(宣教師の女性)に電話して、聖書を読んでもらうの。それからクリスチャンのラジオ局を聴いて、励ましの歌を覚えます。日課の家事をしながら歌っています」
アンドリアは盲目だが、日々の生活の中で、神の守りを実感している。家の中を移動するときも、杖をついて村を歩くときも、神に頼るしかないときがあったそうだ。「歩いていると、目の前に石や障害物があって神様の声が聞こえてくることが何度もありました。時には、私に指示する声もありました。右へ行け、左へ行け、止まれというのが聞こえるんです」
アンドリアは村で唯一の信者であり、みんなに主イエスを伝えたいと願っていたが、彼女の証しを聞いた多くの友人たちが、イエスに心を開き始めたのだ。
一方、彼女は、できる限り父にもそれを分かち合いたいと願っていた。主イエスのもとで、アンドリアの人生は新たな意味を持つようになったのだ。彼女は、もっと多くのヒンズー教徒をイエスに導きたいと願い、そして何よりも、いつか父がキリストのもとに来ることを夢見ていた。
「父に殴られても、私は父を愛しています」とアンドリアは涙ながらに語る。「父を一人にすることはできません。父はもう年だから、病気になったらどうするの? 誰が彼の面倒を見るの? どんなにつらくても、私は父から離れることはありません。私は彼を許し、いつか彼がイエス様を知り、私が今感じているような喜びと平和を感じることができるようにと祈ります」
視力があっても見えていない者がおれば、盲目でもはっきり見えている者がいる。アンドリア姉妹の場合、まさしく後者なのだろう。神は、目の見えぬ者をご自身の伝道者になさることができる。
アンドリアの中にある喜びや平安は、外から来るものではなく、彼女の心の内側から、こんこんと湧き上がるものだ。故にその喜びは、どんなものも決して奪うことができない。インドネシアで、このような素晴らしい働きがいよいよ豊かに実を結ぶよう、祈っていただきたい。
■ インドネシアの宗教人口
イスラム 80・3%
プロテスタント 10・8%
カトリック 3・1%
儒教 0・9%
仏教 0・4%
ヒンズー教 1・3%