米国カトリック司教協議会(USCCB)は20日、性転換治療は神の「創造の秩序」に反するとし、カトリック系病院にこうした治療を実施しないよう呼びかける文書を発表した。
発表されたのは、USCCBの教理委員会による「人体の技術的操作の道徳的限界に関する教理文書」(英語)。文書の筆頭署名者は、教理委員会委員長のダニエル・フローレス司教(ブラウンズビル教区、テキサス州)で、その他、マイケル・バーバー司教(オークランド教区、カリフォルニア州)やリチャード・ヘニング補佐司教(ロックビルセンター教区、ニューヨーク州)ら委員7人と、同委司教顧問のウィリアム・ロリ大司教(ボルチモア教区、メリーランド州)が署名している。
文書はまず、「現代技術は人体の機能に介入し、またその外観を修正するために、内科的、外科的、遺伝学的な、かつてないほど幅広い手段を提供している」と指摘。「人類の病気」を治すというそれらの技術の役割については、「人類への大きな恩恵」だとした。
しかし同時に、現代技術が「人間の真の繁栄にとって有害な介入」にもつながっているとし、「人間にとっての善を促進するために、どの可能性を実現し、どの可能性を実現しないかを判断するには、慎重な道徳的識別が必要」だとした。
その上で、そのような識別に必要な道具として、「人間の本質に刻まれた創造の秩序」への理解を挙げた。
「神によって創造された自然の秩序の重要な側面は、各人の体と魂の一致である。カトリック教会はその歴史を通して、あたかも魂がそれ自体で本質的に完全であり、肉体が魂によって使われる道具にすぎないかのように、肉体を人間の本質的な部分と見なさない二元論的な人間像に反対してきた」
「魂が勝手に誕生して、まるで別の体にいるのと同じであるかのように、たまたまその体にいるのではない。魂は別の体にいることはあり得ず、ましてや間違った体にいることもない。その魂は、ただその体と共に存在するのである」
この見解は、カトリック教会のカテキズム(教理の解説書)に基づくものだ。カテキズムの男女の平等性と差異性に関する箇所(英語)には、次のように記されている。
「男と女は、創造された、すなわち、神によって意志されたものである。一方では人間として完全に平等に、他方では男と女としてのそれぞれの存在においてである。『男であること』または『女であること』は善であり、神によって意志された現実である」
バチカン(ローマ教皇庁)の教理省もまた2004年の書簡(英語)で、「男と女に深く刻まれた現実として、性的差異の重要性と意味を指摘する必要がある」としている。
今回、文書に署名した司教らは、「現代社会には、このような人間の観念を共有していない人々がいる」として、次のような危惧を述べた。
「ローマ教皇フランシスコは、『男女の生物学的違いから根本的に切り離された、個人のアイデンティティーと感情的な親密さ』を促す思想について、それでは『人間のアイデンティティーは個人の選択となり、時間とともに変化し得るものとなってしまう』と語っている」
そして、「人間の体の基本的な秩序を変えようとする試み」と「『性別違和』または『性別不合』と呼ばれるものの治療法として、われわれの社会の多くの人が提唱しているさまざまな技術的介入」を批判し、次のように主張した。
「これらは患者の体の性的特徴を異性のものと交換すること、または疑似的に交換することを目的とした、外科的または内科的技術の使用を伴っており、体の自然な形態に反して可能な限り異性の形態になるように体を変化させることを意図している。これらは、体の基本的な秩序と最終的状態を変化させ、他のものに置き換える試みである」
司教らは、「体の性的特徴を異性のものに変える」という目的で用いられる「さまざまな介入」の一例として、思春期抑制剤を挙げ、そのような性転換のための介入は、「性的に分化した体を持ち、本質的に体と魂の統一体である『人間の基本的な秩序』を尊重しておらず、無視している」と強調した。
その上で、「カトリックの医療サービスは、内科的であれ外科的であれ、人体の性的特徴を異性のものに変えることを目的とした介入を行ってはならず、またそのような手順の開発に関与してはならない」と述べ、性転換治療を実施しないよう求めた。