トルコ南東部のシリア国境近くでマグニチュード7・8の大地震が発生してから、6日で1カ月となった。建物の倒壊などにより多くの犠牲者が出て、トルコでは約4万6千人、シリアでは約6千人の計約5万2千人が死亡した。
トルコ南部ハタイ県の県都アンタキヤも大きな被害を受けた都市の一つ。アンタキヤは、イエス・キリストを信じる人々が初めて「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになった古代都市アンティオキアがあった場所として知られている。
地震により会堂が倒壊したアンタキヤ・メシア教会のエルマス・アキン牧師は、米キリスト教テレビ局「CBN」(英語)の取材に「何一つ残っていません」と語った。「ここは23年間、私たちの教会でした。愛といたわり合いの月日が、全て完全に消え失せてしまいました」
アキン牧師は、何年にもわたって近隣に住む子どもたち50人ほどに聖書を教え、親しみを込めて「エルマスおばさん」「エルマス母さん」などと呼ばれていた。しかし地震により、こうした子どもたちは亡くなったり、国内の他の場所に避難したりして、今は全員がいなくなってしまったという。
このような惨状にもかかわらず、アキン牧師は希望があると話す。
地震により倒壊した会堂は賃貸だったが、信徒らは以前から自分たちの会堂が与えられるように祈り、約1年前に土地が見つかり、新会堂の建設に着手していたのだという。新会堂はまだ建設中だが、地震による大きな被害は受けずに済み、現在はその建設中の新会堂で礼拝を行っている。
「もうアンティオキアはなくなってしまいましたが、新しいアンティオキアが誕生します」とアキン牧師は言う。「神様は既にそのための建物を与えてくださっていて、その建物には全くダメージがありません。必要性がより明確になった新会堂の完成を見届けられるよう、どうか神様に祈ってください」
聖書には、アンティオキアという名の都市が2つ記されている。シリア州のアンティオキア(使徒11:19他)と、ピシディア州のアンティオキア(同13:14他)だ。
シリア州のアンティオキアが、地震で被災したアンタキヤにかつてあったローマ帝国時代の古代都市。当時は、異なる文化や宗教を持つ人々が集まる港湾貿易の中心地として賑わっていた。このシリア州のアンティオキアで、多くのユダヤ人や異邦人がキリスト教に改宗し、信者たちが初めて「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになった(同11:26)。また、異邦人宣教の出発点ともなり、バルナバとパウロはここから送り出された(同13:1~3)。
一方、ピシディア州のアンティオキアはローマ帝国の植民地で、パウロがバルナバと共に第1次宣教旅行で訪れた重要な地である。
今回の地震に対しては、さまざまなキリスト教団体が被災者支援を行っている。米福音派支援団体「サマリタンズ・パース」は、この地域の主要な病院が被害を受けたことから、アンタキヤ近郊に52床の緊急野外医療施設を開設した。
また、現地の教会や団体と10年以上にわたって連携して活動してきた米国福音同盟(NAE)系列の支援団体「ワールドリリーフ」は、こうした長年のパートナーシップを通じて支援活動を行っている。