ロシアがウクライナに対する軍事侵攻を始めてから24日で1年となった。東日本大震災をきっかけに、キリスト教、仏教、神道の宗教者が協力して始めた「阪神宗教者の会」は、侵攻1年を前にした1月27日、国際関係論、平和学が専門の遠藤雅己司祭(神戸国際大学教授、日本聖公会神戸聖ペテロ教会牧師)を講師に招いて例会を開催した。
「平和研究と信仰」と題して語った遠藤氏は、「平和」の定義の変遷や、平和学が果たしてきた役割などを説明。フィリピン在住時に、当時の独裁政権を退陣に追いやった「2月革命」に遭遇した経験にも触れ、ドイツの哲学者イマヌエル・カントが唱えた平和論や、平和に対する宗教者の役割などについて語った。
平和学とは何か
平和学(平和研究)とは、「人類の共通価値としての平和を実現するために、学問(科学)の立場から貢献しようとする学際的研究と教育」。哲学や国際法の分野では19世紀ごろから平和に関する研究が始まり、1千万人ともいわれる死者を出した第1次世界大戦を受け、欧州の各大学に学科が設置されるようになった。遠藤氏によると、平和学の学科を世界で初めて設置したのは、チェコスロバキア(現チェコ)のプラハ大学(現カレル大学)だという。
第2次世界大戦後は、欧州から世界へと広がっていき、日本ではベトナム反戦運動が盛んになった1960~70年代に急速に機運が高まった。平和学の講座を設けている神学校も、世界にはカトリック、プロテスタントを問わず幾つも存在するという。
平和とは何か 「warless」と「peaceless」
平和学が目指す「平和」は、従来「戦争のない(warless)」状態だった。しかし、1960年代後半に、インドの研究者スガタ・ダスグプタが、貧困や不正があふれる社会など「平和を見いだせない(peaceless)」状態こそ、平和学が取り組むべき対象ではないかと問題提起する。ダスグプタは、戦争はなくても、幼児死亡率が5割を超え、生き残った子どもたちも栄養失調にさいなまれ、教育の機会も与えられないまま児童労働で搾取される南インドの貧村の状況を語り、このような状態を平和とは言えないと訴えたのだった。
このダスグプタの問題提起によって、平和の概念は広がることになるが、一方で平和学は、従来通りの「戦争のない」状態を目指すものと、「平和を見いだせない」状態の解決までを目指すものとに二分されることになる。
フィリピンの「2月革命」で見た教会の力
遠藤氏は聖公会神学院卒業後、執事按手(あんしゅ)を受け、宣教師としてフィリピンに派遣された経験を持つ。首都マニラのアジア・トリニテー大学で教鞭を執るが、そこで1986年の「2月革命」に遭遇する。100万人ともいわれる民衆が参加する大規模な抗議活動により、20年余り続いたフェルディナンド・マルコス大統領による独裁政権が崩壊したのだった。
マルコス大統領の独裁政権に対しては、同国のカトリック教会も強く反対しており、民衆を押さえ込もうとする軍の兵士や戦車を前にして、神父やシスターたちが座り込んで抗議した。
「兵士たちは民衆を撃つことができなかったのです。将校が『突破しろ』と戦車の上で言っても、兵士たちはそれをできなかった」「民衆の多くがカトリック信者でしたが、カトリック教会が本気になれば、これくらいのことができるということが非常に頭に残りました」
遠藤氏はそれまで、非暴力闘争の提唱者ジーン・シャープが著書『武器なき民衆の抵抗』などで説く「武器を持たない民衆も非暴力で権力を打倒できる」という考えには懐疑的だった。しかし、フィリピンでの経験は、遠藤氏の考えを大きく変え、その後は「2月革命」を平和学のモデルとして捉えるようになったという。
平和学が果たしてきた役割
現在も世界各地で戦争が続く中、平和学はこれまでどのような役割を果たしてきたのか。
ノルウェーの社会学者・数学者であるヨハン・ガルトゥングは、平和の概念を巡る論争に対して「暴力」という視点を用いて理論的な解決を与えた。ガルトゥングは、戦争などを「直接的暴力」、貧困や不正などの社会的構造に基づくものを「構造的暴力」、そしてこれらの暴力を支える「文化的暴力」と、暴力を3つに分類。そうすることで、それまでは「平和の追求=戦争のない世界の追求」だったものを「平和の追求=暴力のない世界の追求」へとけん引していった。これは、国連の達成目標である「平和」を、「国家の安全保障」から「人間の安全保障」(個々人の恐怖や欠乏からの自由)の構築へ拡大する理論的役割を果たしたという。
また、従来からの「戦争のない」状態を目指す平和学者らの努力は、旧ソ連の元最高指導者ミハイル・ゴルバチョフが冷戦終結、核軍縮へ向かうことを支えた。米国のビル・クリントン政権が、軍拡ではなく民主主義の世界的拡大による平和体制構築を目指す外交政策(クリントン・ドクトリン)を取った背景にも、平和学の貢献があったという。
カントの平和論
遠藤氏は、自身が研究してきたカントの平和論についても紹介した。遠藤氏によると、カントは恒久的な平和構築について考察した『永遠平和のために』の中で、1)民主平和論、2)平和連合構想、3)経済的相互依存の3つを柱とした平和論を展開している。
このうち、真に民主的(共和的)な国家間では戦争は起きないという「民主平和論」は、一部の例外はあるものの、カントの提言からこの200年余りの間で実証されている、と遠藤氏は言う。また、「平和連合構想」は現在の国連の基礎概念の一つとなっている。
世界市場が適正なルールで運用されれば、各国は相互に依存しなければならず、戦争は起きづらいとする「経済的相互依存」については、「相当反論がある」と認めながらも、現在のウクライナ戦争においても、経済的相互依存が戦火のさらなる拡大にブレーキをかけている側面があることを語った。
平和に対する宗教者の役割
遠藤氏は、平和に対する宗教者の役割として、ガルトゥングが提唱した3つの暴力のうちの「文化的暴力」への対応を挙げた。
今、日本では、中国の軍事活動の活発化や北朝鮮のミサイル発射などが頻繁に報じられている。そうした状況の中、遠藤氏が大学で教える20代の学生たち、さらにはクリスチャンの間でも、日本の軍備増強に賛成する声は多いという。
遠藤氏も、米国との同盟関係を見据えた軍事戦略上の軍備増強は完全には否定しない。しかし、「それで(日本の平和が)守れると思ってもらっては困る」と言う。海上自衛隊のイージス艦は世界でもトップクラスの迎撃能力があるとされるが、それでも敵が撃つ全てのミサイルを打ち落とすことはできない。「結局、本当に血を流して戦う段階になれば、安全など確保できないのです。これ(軍備増強)は国防の問題ですが、安全保障の問題ではないのです」
防衛庁(現防衛省)で勤務経験があり、軍事的な研究をしていたこともある遠藤氏は、かつては憲法9条を疎ましく考えていたことがあったという。しかし、冷戦の研究をする中で、日本が幾度も憲法9条を使って戦争に巻き込まれることを阻止してきたことを理解するようになった。当時を導いてきた日本の政治家は、皆が戦争経験者であり、保守であっても、反共主義者であっても、その中には戦争は絶対に回避すべきだという強い思いがあったとし、「わが国が戦争に巻き込まれなかった一つの大きな要因」だと話した。
その上で、遠藤氏は講演の中で次のように語った。
「(ウクライナ戦争によって)平和学がこれまで築いてきたことが、片っ端から崩れ、今やもう風前のともしびといってもよい状態です。私が大学で平和学の講義をしても、学生は反論するか、鼻で笑うかです。『先生は司祭だから、そういう夢のようなことを言うのでしょう』と。しかしそれでも、最後に残された『文化的暴力』に対し、私たち宗教者は声を上げ、それを何とか変えていく努力をすべきではないでしょうか」
「私は一人の信仰を持つ人間として、特にキリスト教にはそうしてほしいですが、どの宗教であってもよいので、反暴力・非暴力の文化を、そうした価値観を、より平和な文化をつくっていくことを、本当に一生懸命にやっていかなければならないと思っています」