世界最古の都市の一つであるウズベキスタンのブハラが、今リバイバルに燃えている。
シルクロードにある交易都市ブハラが、歴史上初めて言及されたのは紀元前500年ごろで、この地は貿易や文化、科学や宗教などの中心地だったことが分かっている。古代の著述家たちはブハラを「知識にあふれた都市」と呼んだ。
1993年、ユネスコはこの街の歴史的中心部を世界遺産に登録した。現在、ブハラはアフガニスタンやイランと国境を接する中央アジアの要衝で、ブハラ州の州都だ。砂漠に囲まれた地域にあるこの街は、旅人らを潤すオアシスなのだ。
ブハラでは、ネストリウス派のキリスト教が7世紀に伝播するまで、モンゴルの支配下で仏教が栄えていた。しかし、ネストリウス派が伝播して以降8世紀ごろまで、ブハラでは、キリスト教が支配的だった可能性が高い。この地域に多くあるキリスト教のシンボルが描かれたコインや遺跡は、悠然にそれを物語っている。
ところが、隆盛を極めたネストリウス派キリスト教も9世紀後半からは、次第にイスラムが浸透し、14世紀にはイスラムが大勢となって国外追放されてしまうことになる。
このような中央アジアの要衝の都市ブハラにキリスト教が戻ってきたのは20世紀のことだ。ウズベキスタンはロシアとソ連の支配を受けたが、その間、ロシア、ドイツ、朝鮮、アルメニア、ポーランドのキリスト教徒が、しばしば強制的にこの地に住み着いた。
それによって正教会、カトリック、アルメニア使徒教会、ルーテル教会、メノナイト教会、バプテスト教会、聖霊派教会が建てられ、ブハラにもそれらの教会のブランチが設立された。当初これらの教会は、移民を対象に仕えていたが、1985年以降、ウズベク人やタジク人への伝道が進み、信者が増えていった。
91年のソ連の解体に伴い、ウズベキスタンが独立すると、キリスト者は政府による激しい迫害を受け、多くのロシア系とドイツ語圏の信者らが国外へ出ていった。
しかし、現大統領のシャフカト・ミルジヨエフのもと、政府と教会の関係が改善されると、イスラム教からの改宗者が増え始めた。
現在ウズベキスタンでは、福音派が驚異的な成長を遂げており、ブハラでは5つの福音派教会が毎週日曜日、主にウズベク人とタジク人の信者数百人を集めて礼拝を行っている。これらの教会は、この地域で積極的に福音を広めているのだ。
以下に、その3つの特徴を記す。
1)社会的弱者へのリーチ
一人の牧師は「自己完結的なペンテコステ教会から、地域に奉仕する会衆になった」と述べる。これらの教会の改宗者の中には、聴覚障害者も多く含まれている。「今日、この地域でろう者のための教会を持たない村はほとんどありません」と牧師は言う。「私たちは彼らに仕え、文字や読み書きを教え、手話を教えます。これらの働きは、日曜の集会では欠かせない役割を担っています。私たちのチームはその場所を訪れ、社会的なケアをし、聖書の勉強会も進めています。その結果、これまでに何百人もの人々が洗礼を受けています。私たちが、地域社会から追放された人たちを集中的にケアすることで、彼らの家族も心を開き始めているのです」
2)地域のニーズに仕える教会
彼らの住む地域を訪問することは、非常に困難な仕事だ。道路は悪く、バスも少ない。徒歩か自転車でしか行けない場所も多い。そのためブハラの福音主義者たちはあらゆる機会を用いる。パンデミックの間、教会はマスク作りや、基本的な食料パックの提供、そして何よりもきれいな水を人々に届けた。
教会には浄水設備があり、1時間に500リットルもの浄水を作ることができる。この水は近隣の人々に配られ、わずかな利益で販売されている。貧しい人々には無料で提供される。キリスト者だけではなく、イスラム教徒も無神論者も、差別なく利用できるのだ。
ブハラの信者らは、このような浄水設備をこの地域の全ての村に設置することを夢見ている。一般に手に入る水は、苦くて衛生面で危険なことも多い。ある牧師は「きれいな水は人々にとって良き知らせであり、それが私たちキリスト者によってもたらされるとき、私たちは人々にとって良き知らせになるのです」と言う。
別の牧師はこう言う。「地域社会の人々の幸福を考えることは、常に病人のための祈りも含みます。私たちはあえてCOVIDに感染した人々のところに行き、彼らとその家族を慰め、癒やしのために手を置いて祈りました。すると多くの人が瞬時に癒やされたのです。これもまた、人々をイエスに近づける機会となりました。神の癒やしを体験することで、第一世代の若い信者たちも信仰が強められました。彼らは、今も生きて働くイエスの力を目の当たりにしているのです」
3)姉妹たちの活発な伝道
ブハラでの驚異的な発展で見過ごせないのは、同地域の伝道における姉妹たちの活躍だ。実際、新しい信者の小グループで、世話人の大半は女性だ。ソ連時代や独立後、高度な教育を受けた女性が少なくない一方、女性は部族社会で二級市民として扱われ、聴覚障害者と同様に差別されてきた。そのような中、人生の意味を求めてキリストに答えを見いだし、信者となる女性が少なくないのだ。
ブハラには、夫が出稼ぎ労働のために何年も国外(多くがロシア)にいて、留守をしている家庭がたくさんある。そのため、残された妻たちの負担は決して小さくない。教会の姉妹たちは、これらの女性たちを支援し、ケアしているのだ。
信者となった女性たちは、信仰によって大きな力を受けるが、それと同時に教会共同体を通して、夫不在の困難を生き抜くための助けを受ける。その結果、彼女たちは近所の他の女性たちにイエスのことを証しし、聖書の勉強会や、生活のための小ビジネスのグループを始めて共助している。
ある牧師は「姉妹たちの活躍は、ウズベキスタンの福音主義運動の大きな活力の一つとなっています」と証言する。ウズベキスタンやタジキスタンのキリスト者には若者が多い。女性たちも、18歳から25歳の若いリーダーが女性グループの設立やリーダーをしているケースが少なくない。女性をケアし、導き、伝道する働きは、男性信者よりも女性信者の方が適任なのだ(テトス2:3〜5)。
イスラムの強いウズベキスタンにあって、これらの活発な兄姉らが、なお一層地域に根差し、社会で疎まれている人々に届き、継続するリバイバルが周辺にも飛び火していくよう祈っていただきたい。
■ ウズベキスタンの宗教人口
イスラム 84・9%
プロテスタント 0・4%
カトリック 0・01%
無神論者 13・8%
正教会関係 0・3%
ユダヤ教 0・2%