1940年。カール・コルヴィッツは重い病気にかかり、日に日に弱っていった。彼は医者として、自分が不治の病に侵されていることを知っていたようであった。
午前中はひどく苦しそうだったが、午後になると少し良くなり、そのような時は訪問に来た人たちと話ができた。あのギュストロフのシュヴァルツコップ牧師はしばしば訪ねてくれて、カールといろいろなことを話し合うのだった。
ある日、カールはこんなことを牧師に言った。「先生、私は自分がそれほど長く生きられないことを知っています。それで今日は先生の前で一つ告白をしたいことがあるのですが、聞いていただけますか」。「何でしょう。あなたでも告白したいようなことがあるのですか」
「私は今まで、日曜日も聖日もなく診療所で患者の相手をし続けてきましたので、あまり教会に行けず、聖書研究会にも出席せず実にいい加減な信者でしたが、こんな私でも死んだらイエス様は天国に招いてくださいますかね」
するとシュヴァルツコップ牧師は、屈み込んでその手を握りながら言った。「コルヴィッツさん。天国はあなたのような人のためにあるのですよ。あなたは長い間、夫人と共に最低の人間らしい生活をする権利すら奪われた労働者や生活困窮者のために労してこられた。イエス様は全てご覧になっていらっしゃいますよ。きっと天国に行ったらあなたに『最も小さな兄弟を助けてくれてありがとう』とおっしゃるでしょう」
そして7月19日。カールは安らかにその生涯を閉じた。ケーテはその後この労働者街の診療所を出て、ヴァイセンブルサー街25番地の住居に移ることにした。この家を見つけてくれたのはハンスとオティリエ夫妻だった。
いよいよ思い出多いこの診療所を去るとき、おびただしい人々が別れを告げるために駆けつけてきた。彼らの多くはここでカールから診療を受けたり、コルヴィッツ夫妻から生活の援助を受けたりした者たちだった。
「コルヴィッツ先生、ありがとうございました。ここに来るようなことがあったら寄ってくださいまし」。貧しい老婆はこう言って、わずかな金を工面した餞別(せんべつ)を差し出した。そのしわくちゃな手をケーテはしっかりと握りしめた。
「皆さん、ありがとう。今は苦しい時代だけど、きっといつかは平和がやってきます。その日まで一緒に頑張りましょう」
アトリエを処分し、ヴァイセンブルサー街25番地の家に移ってから、ケーテは今まで自分を支援してくれた人たちに遺言として作品を残しておこうと考えた。彼女は残る力を全て出し切って石板彫刻の制作を始めた。これには『種子を粉にしてはならない』という題を付けた。これは、戦火を越えて、また思想や政治の重圧を乗り越えて、世の中全ての母親に向けたメッセージだった。
16歳くらいのわんぱくな男の子たちが、母親の外套の外に逃れようと隙を伺っている。しかし、老いた母はこう言う、「いけません。ここに留まりなさい。髪をむしり合ってけんかするのはいいけど、あなたがたが大きくなれば自分で生活していかなくてはならないんですよ。そうして、いいですか、決して戦争をしてはいけませんよ」
ケーテは、逮捕をされることを覚悟の上で、この作品をアカデミーに持ち込んでみた。すると不思議なことに、アカデミーの委員たちはこの作品を近く開催される美術展に掲げる許可をくれたのだった。
その日になると、ベルリンはもとより他の町々からも何とおびただしい人々が――主として女性たちがこれを見に来たのである。美術館の周りではナチス親衛隊の兵士たちが見張りをしていたが、この人の流れを阻止する者はいなかった。杖にすがって現れたケーテを見ると、群衆はその周りを取り囲み、どっと歓声を上げた。
その時、親衛隊の隊長がつかつかと近寄ってきたので、彼女は明らかに逮捕される時が来たと観念した。そして相手を見たとき、それがヒットラーの命令を伝えたあのハンフシュティングルであることを知った。
しかし不思議なことに、彼はしばらくケーテの方を見ていたが、やがてゆっくりと右手を上げて敬礼をした。それから、人々のそばを離れ、庭を取り囲んでいる親衛隊兵士に合図をすると、そのまま引き上げていったのである。
たった一瞬であったが、このナチス親衛隊の隊長と自分との間に理解が生まれ、心が通い合ったことをケーテは知ったのだった。
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1945年。モーリツブルクに戦火が迫る中、ケーテは家族に介護されていたが4月22日、平安のうちにその生涯を閉じた。
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<あとがき>
ケーテは伴侶のカールを天に送ってから、思い出多い「労働者街」の診療所を出て、ヴァイセンブルサー街25番地の家に移り住むことになりました。夫妻に世話になった多くの人々が別れを惜しみ、苦しい生活費の中から餞別を集め、ケーテに持たせてくれるのでした。
この時、彼女は今まで自分を支えてくれた人々に遺言となるような作品を残しておきたいと考えました。そして作った石板彫刻が「種子を粉にしてはならない」でありました。これはケーテの、戦火を越えて世の中全ての母たちに向けたメッセージとなりました。
彼女はこれを逮捕されるのを覚悟で、アカデミーに持ち込んでみました。すると、不思議にもアカデミーの委員たちは、この作品を近く開催される美術展に出品する許可をくれたのです。
会場に着いたケーテは、さらなる奇跡を見ました。あのナチスの親衛隊長ハンフシュティングルが、彼女を見ると敬礼し、見守ってくれたのです。この時、ケーテ・コルヴィッツはまさに、労働者の母たり得たのでした。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。