米国で南北戦争が繰り広げられていたころ、ビクトリア女王の治世にあった英国では、ロンドン近郊のある町でキリスト教のリバイバルが起こった。そのリバイバルは、今となってはほとんど忘れられてしまっているが、人々に福音を何とか伝えようとしている今日のクリスチャンにとって、何か教訓になることはないだろうか。
1861年から65年にかけて、ロンドンの北約30キロにあるハートフォードシャー州のセントオールバンズという町でリバイバルが起こった。
セントオールバンズは、英国宗教史における最も重要な出来事の一つとされる、約1700年前の英国初のキリスト教殉教者、聖オールバンの処刑が行われた地として知られている。そのため、セントオールバンズは何世紀にもわたって巡礼の地となり、今日では有名なセントオールバンズ大聖堂が礼拝と地域社会の中心となっている。
ある研究論文は、この「セントオールバンズ・リバイバル」について、町の人口の5分の1もの人々が、建物やテント、「リバイバル草原」と呼ばれた野原に集まり、後には専用の鉄製や木製の建築物などで行われた活発なキリスト教の集会に参加した、と記している。
その激動の時代の出来事は、当時の地元紙も伝えており、著名な講演者たちが、英国中や欧州各地、南アフリカなどからセントオールバンズを訪れたという。集会でメッセージを伝えた人の数は95人に上り、それもプロテスタントのさまざまな教派にわたったとされる。
その研究論文によると、地元紙「セントオールバンズ・タイムズ」は当時、講演者たちが「偏見や反省の欠如から神の家を無視する習慣のある多くの人々に、町役場やトウモロコシ取引所、テントや野外で、十分に、忠実に、祈りを込めて、愛情深く福音を説いた」と報じている。
また、「われわれは、多くの労働者階級の人々が出席し、敬虔な態度で耳を傾けているのを見て、大いに満足した。このような集会は、安息日の礼拝に出席することの重要性を、多くの人に喚起する効果があるに違いない」とも書いていたという。
集会には、セントオールバンズとロンドンを結ぶ新しい鉄道建設に携わる労働者など、最大1500人が参加し、牧師は労働者たちのために特別な食事を用意した。1861年の国勢調査では、セントオールバンズの人口はわずか7652人であり、このリバイバルは町の人々に大きな影響を与えたといえる。
このリバイバルは、一体どのようにして起こったのか。1982年に福音派の牧師であるジェフリー・ストニアー博士が、オックスフォード・リバイバル研究会で発表した論文は、幾つかの要因を強調している。
例えば、教会の指導者たちや他の人たちが長年にわたって定期的に集まってリバイバルのために祈っていたこと、英国国教会を含むこの町の全てのプロテスタント諸教会の間に緊密な協力関係があったこと、などである。
ストニアー博士は、このような一致した熱意ある取り組みが、「リバイバルの大きな要因」だったとしている。
また、近隣のバーネットなど、英国の他の地域のリバイバルに携わった有力者たちからも支援を受け、経済的な支援者たちも存在した。
ハートフォードシャー州の神学者であり、牧師として40年以上にわたって5つの教会を牧会したストニアー博士は、次のように語っている。
「セントオールバンズには、スーパークリスチャンはいませんでした。普通の、謙虚な、勤勉で忠実な信者がいて、彼らが地元の教会を支えていたのです」
悲しいことに、このリバイバルの長期的な影響に関する研究はなく、ストニアー博士の1982年の研究論文が残っているのみである。
オックスフォード・リバイバル研究会は、北アイルランドの首都ベルファスト生まれのリバイバル史家、ジェームズ・エドウィン・オー氏が、1974年に始めた働きだが、現在は既に解散してしまったようである。
インターネット上にはその他の研究もあったが、それらの裏付けとなるものを見つけることはできなかった。ストニアー博士は、自身の研究は「(リバイバルが)犯罪や貧困、飲酒、不道徳、売春などの社会問題に与えた影響を考慮に入れていない」と説明している。
今日、セントオールバンズの幾つかの教会は、そのウェブサイトでこのリバイバルについて触れており、その発展をたどることができる。しかし、約160年前に起こったこの「セントオールバンズ・リバイバル」は、ほとんど歴史から失われている。
ストニアー博士自身、当時既に1世紀以上前の出来事となっていたこのリバイバルを振り返りながら、自身が直面した困難を認めている。彼は1982年に次のように書いている。
「『セントオールバンズ・リバイバル』に関して、私は幾つかの深刻な問題を経験しました。リバイバルの記録がほとんどないばかりか、リバイバルを支援した教会やリバイバルから最も恩恵を受けた教会も含め、セントオールバンズでは誰もそのうわさを聞いたことがないのです」
それでもストニアー博士は、祖父がリバイバルに関わったという人物を突き止めた。
さて、このように十分な情報があるわけではないが、この「忘れられた」リバイバルからも、何かしらの教訓は得られるのではないだろうか。それは、持続的な祈りであり、教会間の協力であり、柔軟性であり、資金調達の重要性などだ。これらは、今日それぞれの都市で神の新しい動きを求めているクリスチャンの助けとなるだろう。
◇
ピーター・クランプラー(Peter Crumpler)
英ハートフォードシャー州セントオールバンズ在住の英国国教会の司祭。英国国教会の元広報責任者。