小学生の頃、白クローバーの花を重ね、茎(花柄)を回して花を留め、ひもを作って長さを競い合いました。最後にそれで輪を作って冠にしました。あるものは二重、三重、もちろん一重もありました。皆が王様になった気分でした。
1. イエスの裁判
ユダヤ教の指導者たちに訴えられたイエス。裁判官はローマ帝国の権威を背負った総督ピラトでした。「あなたはユダヤ人の王なのか」。イエスは答えられました。「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです」「わたしの国はこの世のものではありません」「わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました」。「真理とは何なのか」、ピラトは一人の人間としてイエスと対面していました。
ピラトは訴えたユダヤ人たちに言いました。「私はあの人に何の罪も認めない」(ヨハネ18:33〜38)。そこでピラトは、イエスを釈放しようといろいろ企てました。その一つがむち打ちでした。こうすればユダヤ人たちの気が治まると思ったからです。ユダヤ人たちがねたみから訴えていたことを、ピラトは知っていたのでした。
もう一つは過ぎ越し祭りの慣わし、恩赦でイエスを釈放しようとしました。しかし、ユダヤ人の指導者たちはバラバではなく「イエスを十字架につけよ」と群衆を扇動。それは彼らの目的が、何が何でもイエスを亡き者とすることだったからです。そこには、ねたみと憎しみがあるのみでした。
彼らの罪の渦に巻き込まれたピラトは、「ユダヤ人の王」と言ったイエスを釈放することは、かえってピラト自身が皇帝に逆らうことになるという彼らの矛先、屁理屈を恐れて、保身故にむちを打って引き渡してしまったのです。十字架につけるために。
彼らの訴えやピラトの質問に、イエスは言葉少なく、しかし救い主として肝心なことは話されました。こうして神の御心がなされていきました。
イエスを引き取った兵士たちは、イエスが着ていたものを脱がせ、赤色のマントを着せました。またある者たちは、王冠の材料を取りに行きました。手も足も出ない、いや出さない、ユダヤ人の王と言うイエスをからかい、侮辱するためでした。
2. 材料のいばら、その名は
エルサレムに生えているいばらには、どのような種類があるのでしょうか。
第一に、キリストの冠にしたと世間で言われているのはトゲハマナツメ(Paliurus spina-christi Mill. = P. aculeatus L.)です。高さ1〜2メートルの低木で、枝はジグザグに曲がり、とげは長短不規則に付きます。山地、特に岩の多い所に自生し、JerusalemThorn と英名でいいますが、ユダヤには産しないといいます。このいばらには、分布上の問題があります。
次は、バラ科のキリストノイバラ【Sarcopoterium spinosum(L.)=Poterium spinosum L. 】です。別名トゲワレモコウともいい、ヘブル名はシール(シーリーム/複数形)です。イザヤ書34:13のいばらの一つに挙げられています。
草丈は低く、30〜60センチの灌木(かんぼく)です。陽のよく当たる所に広く分布し、日陰では生育が衰えます。春の間は枝が緑で柔らかいですが、夏になると木化し硬くなり、細工しづらくなります。枝の上部で長短幾つにも分枝し、その先が鋭いとげになります。
イエスが十字架にかかられたのは過ぎ越しの祭りの時、今の暦で3〜4月で、枝はまだ柔らかいです。でもその鋭いとげの故に、一人で冠を作るのは難しいです。片方の端を持ってもらい、自分もとげで傷つきながら2、3人で作ることになります。
からかうためとはいえ、なぜこのような手の込んだことをするのか。さらに彼らは面白がって、アシの細い茎を王笏に見立てて持たせ、またそれを取り上げて頭をたたき、「誰がやったか当ててみよ」とからかうのです。
しかしイエスは真剣です。救いのとりなしをします。「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(ルカ23:34)。「わたしが来たのは世をさばくためではなく、世を救うためだからです」(ヨハネ12:47)
今一つはキリストイバラ(Zizyphus spina-christi L.)です。クロウメモドキ科、ナツメ属。アフリカ原産で、レバノンからパレスチナを経てシナイに分布し、特にネゲブ、アラバ地帯に多いといいます。高さ3〜8メートルの常緑樹です。
姿は日本のナツメによく似ているといいます。枝は長く伸び、垂れ下がります。葉は互生し、その葉腋(ようえき)の托葉(たくよう)が短く硬いとげとなります。しかし、前二者よりおとなしいです。枝は柔らかく、曲げやすいです。
このように、先に述べた2種より細工しやすい性質を持っています。それでも兵士たちが短い時間に一つ作り上げるのに、少なくとも2人がかりだったと思います。しかも、円を描くようにただ丸くしたのではなく、女の人が髪を編むようにとげの付いたいばらで編み(記述3カ所とも。マタイ27:29、マルコ15:17、ヨハネ19:2)、冠の形としたのです。
総合的に見て、この3番目のキリストイバラで作ったと私は思います。当時、競技勝者が得た月桂冠のように葉が重なり合って、それらしく見えたでしょう。
分類学者リンネは標本を整理したとき、「キリストのいばらの冠」を意味する学名を付けたといわれます。日本のナツメは同じ ziziphus 属ですが落葉樹です。果実は楕円形、茶褐色です。
3. 罪状書き
本当に救い主だろうか。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません」(ヨハネ18:36)。こう語るイエスにピラトは威厳を見たのではないでしょうか。彼は「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と、罪状書きを書きました。
これは真実です。ダビデへの神の契約に合っています。でも、なぜこれがイエスの罪状になるのでしょうか。
「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(2サムエル7:16)。永遠、不変の塩の契約です。イエスはダビデの家系にメシアとして生まれた方です。
「主は私たちすべての者の咎(とが)を彼に負わせた。・・・彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。・・・彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。『彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する』」(イザヤ53章抜粋)
このように、「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」という罪状書きは、私たちの罪が霊的に上書きされているものです。神の愛の摂理によるのです。「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました」(2コリント5:21)
4. 勝利の冠
イエスは3日目に、死人の中からよみがえりました。死に勝利されました。「背いた者たちのために、とりなしをする」(イザヤ53:12)
イエスの頭に載せられた王冠は、
①私たちの罪の代償と
②さげすみと魂の苦しみと
③神の裁きとを象徴するいばらの冠
であり、復活信仰によって変えられる
④朽ちない冠(1コリント9:25)
⑤義の栄冠(2テモテ4:8)
⑥いのちの冠(ヤコブ1:12)
⑦栄光の冠(1ペテロ5:4)
です。神からの賜物です。
「わたしはすぐに来る。あなたは、自分の冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり保ちなさい」(黙示録3:11)
◇