随分前のことです。低温やけどで皮膚が荒れ、薬を塗れば塗るほど悪くなる一方とのこと。おばあさんに言われてアロエの皮をむいて付け出したそうです。「本当にきれいな肌になりました。びっくりするぐらいです」と後日仰っておられました。医者いらずとはよく言ったものです。
1. 聖書に登場
さて、アロエと沈香(じんこう)が翻訳上交錯しながら新約聖書(NT)に1回、旧約聖書(OT)に4回出てきます。まず、NTです。十字架から降ろされたイエスを葬るためにニコデモが持ってきたものです。「前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た」(ヨハネ19:39、新改訳)。
このアロエを沈香と訳しているのが、新改訳2017(以下、2017と略)、新共同訳、口語訳、文語訳です。
OTを2017で引用します。「あなたの服はみな 没薬 アロエ シナモンの香りを放ち」(詩篇45:8)。「寝床を没薬、アロエ、シナモンで 香らせました」(箴言7:17)。「ナルドとサフラン、菖蒲とシナモンに、乳香の採れるすべての木、没薬とアロエに、香料の最上のものすべて」(雅歌4:14)。「それは、広がる谷のよう、また川のほとりの園のようだ。主が植えたアロエのよう、また水辺の杉の木のようだ」(民数記24:6)。これと同じようにアロエとしているのが新改訳、新共同訳です。共同訳は全て沈香です。
口語訳と文語訳は民数記だけ沈香樹とし、他の箇所は「ろかい」(アロエのこと)です。
OTの原文ではアハロートゥ、またはアハリームです。前者は女性名詞、後者は男性名詞です。ギリシャ語の七十人訳(LXX)では4カ所ともまちまちです。雅歌ではヘブル語の発音に合わせてアロートゥです。恐らく70人の人たちは何であるか知らなかったのでしょう。
2. 名称の混同
ヘブル名アハロートゥ、アハリームは、樹木のジンコウ、その樹脂の沈香(じんこう)を表すサンスクリット語のアガル、ヒンディー語のアグルに通じているといいます。アガル、アグルを訳したとき、発音の似ているアロエを用いたといわれています。ところが、アロエは沈香とは全く別種のものですから、英名ではさらにややこしい印象を与えています。
3. アロエ(ユリ科、南アフリカ原産、地中海沿岸、亜熱帯各地に帰化、2n=14)
通称医者いらずとよく知られているものはキダチアロエ(Aloe arborescense Mill.)です。多汁多肉質の先細りする細長い葉で、先端はとげとなり、葉縁にも粗いとげがあります。緑色の葉に白色の流れ斑(ふ)が入ります。ロゼット状に展開します。その中心から花茎が伸びる有茎種で1メートルくらいになります。胃腸病、やけどなどの民間薬にされています。苦味が強いです。
苦味の無い種(しゅ)はバルバドスアロエ(キュラソーアロエ)(A. Barbadensis Mill.=A.vera L.)です。これが聖書のアロエです。高さ1メートルほどになる有茎種で、黄色から橙色の筒状の花を、枝分かれした花茎の先に穂状につけます。葉はキダチアロエと同じですが、私の手元にあるものは白色の流れ斑が細めで少ないです。薬用や野菜用に栽培されています。
いずれにしても香りは全くありません。OTの箇所では香りのある植物の中に記されていますので、アロエではないと思われます。香料植物と推察されます。
アロエは古代エジプトで薬用やミイラに使用されていました。イエスの葬りの準備にニコデモが没薬と混ぜて持ってきたのはユリ科のアロエであろうと、ヘブル大学の植物学者M・ゾハリーはいいます。アロエは、アロインやアロエニンなど十数種の薬用成分が知られています。主成分アロインは、バルバドスアロエの乾燥粉末に33〜40パーセント含まれています。アロエの汁を蒸発させて残った黒い塊は、商品として取引されています。唐代の中国に伝わり蘆(ロ)カイと呼ばれました。口語訳と文語訳に訳出されている「ろかい」です。
4. 沈香(ジンチョウゲ科ジンコウ属)
ジンコウは不思議な樹木です。老木や倒木、枯れ木、虫に食害された材が土の中に埋没して、細菌類の作用で傷の内部に樹脂が分泌、蓄積して香木となります。重くなり水に沈むようになります。しかも熱を加えると特有の芳香を出します。それで沈香といわれます。
沈香はベンジルアセトン、テルペン、高級アルコールなどの樹脂を約50パーセント含みます。水での沈み加減により微妙に香りが異なりますが、記憶に残る優雅な香りを放ちます。沈香を生ずる木はインドを中心に生育するもの、ベトナム、マレー半島中心のもの、中国中心のものと3種類ありますが、いずれもジンコウ属です。
聖書の沈香樹(ジンコウ)はインド、アッサム州を主に生育する Aquilaria agallocha Roxb. です。高さ30メートルにもなる常緑の高木です。葉は薄く長さ5〜9センチの披針形、互生につきます。花は散形花序で葉腋につきます。花弁がなく、白色の5ガク片、10本の雄しべがあります。樹皮は薄く、その内側にある維管束の部分を靭皮(じんぴ)といい、強靭です。羊皮紙に似て、アッサムの王はそれに文字を書いたといわれます。
材質は柔らかく、かすかな香りがあるといいます。ところが傷つけられ、土に埋もれ、防御のために樹脂が沁み出し、黒褐色の塊が生じて燃やされたとき、さらに強く甘く心地良い香りを放つのです。うつなどに効果を表します。生薬にも興奮剤、強心剤、駆風剤として用いられます。
自らが傷を負い、人を癒やすのです。苦難の僕(しもべ)、キリスト・イエスを思い起こさせます。「彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。・・・彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。・・・その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた」(イザヤ53:2〜5)
いつエジプトに、またパレスチナにもたらされたのかよく分からないのですが、ソロモンの歌で花嫁が醸し出す愛の心、容姿などを例える香りの一つです。インドの北、ネパールに自生する稀少なナルドもここに記されているのは、意味深長です。
「あなたの産み出すものは、最上の実を実らせるざくろの園、ナルドとともにヘンナ樹、ナルドとサフラン、菖蒲(しょうぶ)とシナモンに、乳香の採れるすべての木、没薬とアロエ(実際は沈香)に、香料の最上のものすべて、庭の泉、湧き水の井戸、レバノンからの流れ。北風よ、起きなさい。南風よ、吹きなさい。私の庭に吹いて、その香りを漂わせておくれ。私の愛する方が庭に入って、その最上の実を食べることができるように」(雅歌4:13〜16)
ソロモンの時より約430年前、モーセに率いられたイスラエルの民をバラムが主によって祝福した言葉にも出てきます(民数記24:5、6)。邦訳では、アロエまたは沈香ですが、LXXでは幕屋と訳されています。おそらく5節の「ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは」を受けて、「それは、広がる谷のよう、また川のほとりの園のようだ。主が植えたアロエ(幕屋/LXX、沈香/共同訳)のよう、また水辺の杉の木のようだ」(6節)。
杉の木は、レバノンの高地にある堂々たるレバノン杉です。水辺にあればなおのこと、外見の姿は主に従う者の祝福の姿です。
「正しい者は なつめ椰子の木のように萌(も)え出で レバノンの杉のように育ちます。彼らは 主の家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。彼らは年老いてもなお 実を実らせ 青々と生い茂ります」(詩篇92:12〜14)
それに対比して、沈香は内側の祝福の姿です。
「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。・・・彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。・・・彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する」(イザヤ53:7、8、11)
それは、神の栄光を捨てて人の形をとり、自らを低くして死にまで、それも十字架の死、身代わりの死にまで従い、罪びとを救われた主の愛の心、柔和さを表している姿です。この救い主にあって新しくされる祝福の姿です。
「わたしは、・・・へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かす」(イザヤ57:15)
この沈香をバラムは、東西を行き来する隊商から見聞きしたのでしょうか。モーセは、王女のもとにいた40年間の時でしょうか。その後の羊飼いの40年間の時でしょうか。2人とも知っていたはずです。
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