聖書には右と左について記してあり、右が優位・上位であるとほのめかしています。一方で、中国では唐の時代、日本では特に平安時代に入ってから、左が優位・上位とされています。
日本の場合、京都には平安京を中心に左京区と右京区があり、天皇を中心として東方の左大臣が優位で、次に右大臣と続きます。これは、平安時代に遣唐使として渡った日本人が帰国して、平安京を築くに当たり、紫宸殿に立つ天皇が北を背にして南向きに立ち、左方向は太陽が昇ることから、太陽信仰として左を優位としたことによります。
その背景には、当時の唐代の築城に際し、皇帝が立つ大明宮から北を背にすると、その真上に動かないといわれていた北極星と紫微宮(しびきゅう)があり、皇帝のシンボルとしたことがあります。京都御所が作られた際にも、天皇が皇帝と同様のスタイルを取りました。そのようにして、東方向の左が優位となりました。
明治天皇と皇后の立ち位置を見ると、天皇の右に皇后が立っています。大正天皇の時代からは左右が逆になりましたが、これは欧州の影響でしょうか。また、外国から賓客を迎える場合、天皇は左側に立ちます。マッカーサーと昭和天皇の写真を見ると、3枚とも天皇から見て右にマッカーサーが立っています。
内閣の閣僚就任式でも、総理大臣の左が上位で、右が3番手となります。有事の際に総理が不在の場合、最終判断は左に立つ者が担うことになります。国会議事堂も、貴族院の参議院が左で、衆議院が右です。相撲の場合も、行司が対戦相手を東側から呼び出し、番付表も左が上位となります。
一方で、仏教の浄土や極楽は、日が傾いて沈んでいく西を指し、西方浄土と呼んでいます。どうしてこうなるかと言いますと、古代中国や日本の信仰対象が太陽や月、星の運行を重視する星辰(せいしん)信仰にあったからです。
東アジアには、天地万物を創造された聖書の創造主信仰がない故に、目に見える人や自然、天体を崇拝しました。(一説には、唐の高宗皇帝が自らを天皇と名乗ったのに倣い、天武と持統が大王[おおきみ]から天皇に呼称を変え、国を倭国から日本に改称したといわれます)
聖書には、天体崇拝を禁じている記事があります。
「天に目を上げて、太陽、月、星など天の万象を見るとき、惑わされてそれらを拝み、それらに仕えることのないようにしなさい」(申命記4:19)
天体の太陽や月、星は、被造物を照らし、養うため、また季節のために与えられているものであって、崇拝対象ではありません。詩篇では「日よ。月よ。主をほめたたえよ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ」(148:3)とあり、天体は主を賛美するようにと語っています。
また、西洋の右が上位であるのは、オリンピックの表彰台などを見ても分かります。授賞式では、金賞者から見て右が銀、左が銅となります。さらに聖書には、右の座、左の座があると記す箇所があります。
マタイ福音書20章20節以降を見ると、ヤコブとヨハネの母がイエスに、自分たちの息子を天の御国で一人をイエスの右に、一人を左に座らせてほしいと頼みました。当時のユダヤ社会では、偉大な人の右と左に人を座らせる慣習があったのだろうかと考えます。
同じくマタイ福音書の25章31節以降には、栄光のイエスが来臨し、裁きの座で、右にいる羊と左にいる山羊を裁く場面があります。ここでも、右が祝福で、左が呪いと表現されています。また、使徒7章54節以降にあるステパノ殉教の記事では、ステパノが天を見上げると、イエスが神の右に立っていたとあります。
パウロはローマ8章34節で、神の右の座に着いたイエスが信徒のためにとりなしの祈りをしていると述べています。他にもマタイ福音書26章64節、マルコ福音書16章19節、使徒2章33節、黙示録1章16節などを見ると、左ではなく右の座に権威があるように伝えています。旧約聖書にも、右と左の記事が出ています。
唐代中国に宣教に来た大秦景教徒たちも、父の右に座した聖子イエスの権威について記しており、父、子、聖霊を正しく伝えていました。下の写真は、大秦景教三威蒙度讃の全文とその抜粋で、「聖子(イエス)は父の右に座る方」とあります。下の和訳は、筆者がシリア語原文から訳したものです。
問題点と課題
- 東アジアで人が天体に魅せられると、それらを神として拝む偶像崇拝を作り出し、創造主の存在と恵みが遮られました。それにより、多くの人が救われず、滅びに至る悲しい現実があり、天皇の名による悲しい事件や悲惨な戦争もありました。
- もし北極星を世界の真理とするなら、南半球では一年中北極星の見られない場所があります。そのようなものは真理ではなく、受け入れられないでしょう。
- 天体や万物は、創造主の栄光のために創造主によって造られたもので、拝む対象ではありません。創造主が人となって世に来られた、救い主メシア・イエスの十字架と復活による永遠の救いが、造られた全ての人に必要なのです。救われた者たちは偶像崇拝から解放され、造り主を褒めたたえて、神の栄光を現します。ですから、私たちはこれからも、造り主と救いの福音を伝えていくのです。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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