そこでサムエルは民に言った、「さあ、ギルガルへ行って、あそこで王国を一新しよう」。(1サムエル11:14)
私たちはリーダーシップを難しくしていないでしょうか。私も教会のミニストリーにおいてさまざまな局面で否定的な言葉を耳にし、それに反応し続けてきました。「人々に仕えていない」「あなたのための組織ではない」「皆があなたを支えていない」などに加え、明言はしなくても、リーダーとしてふさわしくないといった非難の言葉を何度聞いたか分かりません。これらの言葉を最も信頼していた人々から聞いたのが、私にとって最も残念なことでした。さらには、私を応援するのではなくむしろ裏切り、リーダーの立場から排斥される事態も経験しました。
このような状況に置かれたとき、私たちはどのように前進すればよいのでしょうか。状況に流されるだけでは、リーダーシップはますます複雑になり、否定的なスパイラルに足を引っ張られます。悪の業に惑わされてはいけません(参照・ローマ16:20)。
私が上記のような攻撃を受けていたとき、明らかに欠けていたのは、私が今、日々持っているキリストとの関係でした。確かに、デボーションは毎日し、それなりに祈ってもおり、神様との関係は深いと思っていました。教会の奉仕にも積極的に関わっていました。しかし、御言葉の知識や理解が浅かったと思います。このような苦難を通して、私は霊的に成長することができたのです。キリストの愛をますます深く知るようになり、霊、魂、体が主の働きのために用いられるというブレイクスルーを体験することができたのです(参照・1テサロニケ5:23)。
私はこのために、霊的な家族の環境を変える必要がありました。私たちは日々関わる人々から影響を受けています(参照・箴言27:17)。私が聞き入れる御言葉のメッセージも変える必要がありました(参照・ローマ12:2)。
私はこの数年間でリーダーシップの焦点を、教会のミニストリーや職場から家庭に大きく移行しました。まずは夫として、父親として、家庭でリーダーシップを発揮できないのであれば、教会でリーダーシップを発揮することは難しいと理解したからです(参照・1テモテ3:4)。
人々に仕えることについては、キリストの地上での歩みから学ぶことができます(参照・マタイ20:28)。人に仕えるというと、何か自分を否定し、こき使われて苦しみながら、何とかして相手の必要に応えるといったイメージを持たれがちです。しかし、キリストが教えるサーバントリーダーシップはこの真逆です。自分をキリストにあって肯定し、価値ある存在として認め(参照・エペソ2:10)、断るべきことは断り(参照・マタイ5:37)、厳しい状況もチャレンジとして喜んで受け止め(参照・ヤコブ1:2)、人々の問題を解決し、人々の祝福となることです(参照・2コリント5:21)。非聖書的なサーバントリーダーシップに関する教えは、キリスト教会を毒していると言っても過言ではありません。御言葉が語るリーダーシップの真実に導かれることが、何よりも大切です。
私たちが人々の祝福となることを何よりも優先したとき、つまり、キリストの愛を私たち自身が体験することを最優先したとき(参照・1ヨハネ4:19)、人々に仕えることが超自然的に自然な行為となり、私たちはキリストが語られる偉大な者になることができます(参照・マタイ20:26)。正しいサーバントリーダーシップの考え方を御言葉から学びましょう。重要なのは、周囲の人々が私たちに影響を受け、キリストにますます目が向けられ、成長する組織が建て上げられていくことです。もし、この実を結べていないのであれば(参照・マタイ7:16)、私たちの考え方を、御言葉によって変える必要があります。
キリストのリーダーシップが、私たちを通してますます豊かに表されますように!
GOD BLESS YOU!
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