宗教学者の島薗進氏(東京大学名誉教授)が22日、オンラインで開催された「阪神宗教者の会」で講演し、「震災後とコロナ後のケアと公共空間」と題して語った。宗教者による支援活動が顕著に見られるようになった東日本大震災後の状況と、現在のコロナ禍を比較しつつ、ケアをめぐる最新の動きを紹介。孤立がますます進む現代社会は、ケアの回復を必要としているとし、新たなケアの在り方について語った。
東日本大震災とコロナ禍の違い
島薗氏は、日本では東日本大震災後から宗教者による支援活動が顕在化してきたといえるとし、宗教者によるさまざまな被災者支援の事例を紹介。震災をきっかけに、被災地や病院などの公共空間で心のケアを行う宗教者を「臨床宗教師」と呼ぶようになり、大学での養成や資格化が行われていった過程を語った。
一方、2020年初頭から世界中に影響を与えている新型コロナウイルスについては、弱い立場の人々がより困難な状況に追い込まれていることを語った。高齢者がさらに孤立し、介護施設などに入所する人が家族と会えない例が各国で報告されている。ニューヨークでは感染が拡大した当初、アフリカ系やヒスパニック系などの貧困層の多い地域で死者が多かったとされている。看取りの場や葬儀に立ち会うことができず、「さよならのない別れ」をしなければいけない人も多く出た。
また、犠牲者の追悼の在り方も、東日本大震災とコロナ禍の間で、また日本と海外の間で違いが見られたという。
東日本大震災において、犠牲者の追悼は宗教者が担った大切な役割だった。しかし、コロナ禍では「追悼よりもコロナ退散の祈りという感じだった」と島薗氏。「災厄をなくす祈り、不安をなくす祈りが先で、死者を悼む祈りが目立たなかったように思う」と話した。
しかし海外では、新型コロナウイルスで亡くなった人々を追悼する積極的な動きが見られた。米国では、ジョー・バイデン大統領の就任式前日に、首都ワシントンで大規模な追悼式が行われ、バイデン氏が演説。民間レベルの追悼の動きは、米国や欧州で見られた。ウイルスの発生地で初期には多くの犠牲者が出た中国も、共産主義の国でありながら、全国規模の追悼行事を行い、習近平国家主席らが黙祷をささげた。島薗氏は、こうした海外の事例は政治的な側面もあるが、日本ではこのような動きが見られなかったと指摘した。
「世界一貧しい」元大統領がコロナ禍で問う価値観
こうしたコロナ禍で、島薗氏が最も共感したのは、「世界一貧しい大統領」として知られたウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領の考えだとし、毎日新聞に掲載されたムヒカ氏の記事「『人生は富を築くだけのものなのか』 “世界一貧しい”元大統領がコロナ禍で問う価値観」を紹介した。
ムヒカ氏は、コロナ禍で最も影響を受けているのは社会的に最も脆弱(ぜいじゃく)な人々であるとし、国家はこうした人々に重点的に投資すべきだと訴える。そして、ネット環境をめぐる富裕層と貧困層の格差や、自国優先の排外主義の拡大に懸念を示す一方、中南米ではコロナ禍に、貧困層の間で強い連帯感が芽生え、助け合いの精神が広がり、炊き出しや食料配給などが自発的に行われていることを紹介する。ムヒカ氏はその理由の一つに、コロナ禍で自宅にいることが増え、自らを見つめ直す時間が増えたことがあるとし、次のように言う。
我々は働いてお金を稼ぐことを人生の成功だととらえる誤った考え方に縛られてきた。人生は富を築くだけのものではないと人々が気づき始めた。今は、「家族や友人と愛情を育む時間はあるのか?」「人生が強制や義務的なことだけに費やされていないか?」と自問自答を重ねる時だ。私は、人類が今の悲劇的現状から何かを学び取ることができると考えている。それが実現すればコロナ禍は人類にとって大きな糧になるだろう。
ムヒカ氏はまた、人類が巨大な都市を開発した結果、交通渋滞や大気汚染などの問題が生じ、コロナ禍は都市の感染症対策における脆弱さも浮き彫りにしたと指摘する。日本には1日だけで、ウルグアイの人口とほぼ同じ300万人もの人が利用する駅が存在するとし、「都市開発について立ち止まって考え直す時期に来ているのではないか。これから生まれてくる人のため、少しだけ社会を大切にする気持ちを持ってほしい。世界には支援が必要な社会的弱者がいることも忘れないでほしい」と求めている。
「慈悲共同体」と宗教者の役割
島薗氏は、1980年代から表面化し始めた孤立の問題がコロナ禍でますます進む中、ケアと地域を結び付ける新しい考え方が広まっているとし、「慈悲共同体(Compassionate Communities〔Cities〕)」という考えを紹介した。これは、『いま死の意味とは』の著者である死生学者のトニー・ウォルター(英国)や、社会学者のアラン・ケリヒア(オーストラリア)らが紹介しているもので、1986年に世界保健機関(WHO)が作成した「健康づくりのためのオタワ憲章」の原則に基づきつつ、人々の健康だけでなく、終末期のケアなど死をめぐる問題までも共同体の責任とする考えであり、共同体の受容力より専門家の増加を目指してきたことに対する批判だという。
「死にゆく人に対するケア、そこでは当然、宗教者が大きな役割を果たしていく」。島薗氏はそう言い、ケアに満ちた世界を目指す流れは、コロナ禍では目立ちづらい状況にあるかもしれないが、子ども食堂などは今も増えているとし、今後さらに「慈悲共同体」のような考えが広がっていく可能性があると語った。
また、近年はケアをテーマにした書籍も増え、ケアに対する関心が高まっていると指摘。「ケアはかつて、人々が当たり前のようにやっていた。家族はお互いにケアし合う空間だった。しかし、それがどんどんアウトソーシングされ、誰かに任せるものとなり、任せられる人々は、非常に安い報酬でそれを請け負うような社会になってきているが、それでよいのか。どのようにして、この社会はケアを回復していくのか。それが今、問われている」と語った。
阪神宗教者の会の世話人代表で神戸国際支縁機構理事長の岩村義雄氏(神戸国際キリスト教会牧師)は本紙に、「当機構の理事の一人である島薗氏には、1年に一度、『死』について語ってもらいたいと考えている」と語った。阪神宗教者の会は、専門家を講師に招いた例会を毎月開催している。次回は、5月27日(金)午後5から、国際NGO「非暴力平和隊」のフィールドワーカーとしてスリランカなどで活動してきた徳留由美さんが、「スリランカにおける支縁」と題して語る予定。問い合わせは、岩村氏(メール:[email protected]、電話:070・5045・7127)まで。