1. 福音伝道ができない時が来る
「福音の伝道が法律で禁止されました。どうか祈ってください」
何年か前に、マレーシア最大のプロテスタント教会を立ち上げたレイモンド・ムーイ牧師からこう言われた。マレーシアはイスラム教を国教としているが、英国の植民地から独立したこともあって、キリスト教には比較的に寛容であった。しかし、キリスト教の急速な拡大を恐れたイスラム教勢力の圧力で福音の伝道ができなくなった。共産圏においても同様に、キリスト教の伝道を禁止する地域が増えている。
コロナ騒動に続いて今年に入ってから、ロシアとウクライナの戦争勃発で世界はまたしても大きな不安と恐怖に襲われている。特に、ウクライナと同じような歴史的、地政学的問題もからむ政治情勢にある日本は、戦争に巻き込まれる現実の可能性がますます高まってきている。もはや抽象的な戦争の是非論を語る時は過ぎ、いかにして具体的に国土を防衛するかという臨戦態勢の段階に入っている。
戦争が始まれば福音伝道どころではなくなるであろう。日本が非キリスト教国の支配に落ちたら、クリスチャンの迫害と投獄が始まるであろう。人々の愛が冷え、世の終末が来ることは聖書で繰り返し預言されている。このような時勢の中で、私たちはどうしたらよいのだろうか。
国家、社会が混乱し、人々の心が動揺している今こそ、永遠の命と神の揺るぎない平安が得られる福音を宣べ伝えなければならない。今こそ、福音を伝える絶好のチャンスである。私たちは昼のうちに働かなくてはならない。夜が来ると働けなくなる。自由に伝道できる時に福音を伝えなければ、諸外国の例のように福音伝道ができない時が必ず来る。
2. 校門で渡された一枚のチラシ
私が大学生の頃は、安保条約反対闘争の最中で、左翼運動の嵐が吹き荒れていた。「左翼にあらずんば人にあらず」という時代であり、学内は騒然とし、授業はそっちのけで学内外の左翼活動に駆り出された。連日、国会を取り囲む数十万人の激しいデモが展開されるなど、まさに革命前夜のような雰囲気であった。
そのようなある時、大学の校門で一枚のチラシをもらった。「今度、新しく英会話サークルを始めます。あなたも参加してみませんか」と書いてあった。心が殺伐としていたので、気晴らしにと思い参加したところ、それは英語で聖書を読む会であった。唯物論一辺倒で宗教などにはまったく関心がなかった私は、一瞬、「騙された!」と後悔したが、他にはない温かい雰囲気があったので、続けて参加した。その一枚のチラシがきっかけで、後に私はキリストを信じて現在に至っている。
あの不安と混乱の中にあったからこそ、聖書に引かれて信仰を持つことができた。振り返ってみると、当時と今の日本の騒然とした雰囲気とがよく似ているように思われる。学生時代を思い出しながら、仲間と一緒に年内50万部を目指して、黙々と毎日欠かさずキリストのトラクトをポスティングしている。郵便受けに入っている一枚のトラクト、一冊の小冊子を手にした方のキリストを信じるきっかけになることを願い祈りつつ。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」(2テモテ4:2)
「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます」(ヨハネ9:4)
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