認知症の進んだ高齢の父との暮らしが、早くも2回目の春を迎えようとしています。家事さえ十分こなせない私でしたが、伴侶を突然失った父を、コロナ禍で面会も難しい老人ホームに入所させる気になれず、周囲の助けを借りながら、長男の私が一緒に暮らすようになりました。
24時間、目が離せない
デイサービスのお世話になる平日の約6時間、私は事務所に出掛け、仕事に追われていますが、残りの18時間と、デイサービスが休みになる週末の2日間は、家族がそばにいなければなりません。
認知症が進むと、身体機能の低下を自ら補うことが難しく、そばで介助レベルを日ごとに上げていくことが求められます。最近は、幼児に親が寄り添うように、父に寄り添うようになりましたが、幼児と違い、転倒すると立ち上がるのが難しいのと、骨折して元の生活に戻れない危険があり、注意深い対応が必要です。
特に夜中、意識がはっきりしない中で頻繁に起きてトイレに向かうのは大変危険です。ベッドから立ち上がった直後が最も危険なので、父が立ち上がる直前には介助の体制に入らなければなりません。
足元の離床センサーが父の動きを検出し、警報が鳴ったらすぐに起きて対応しますが、頻繁に、しかも即座に対応する必要があり、私自身の睡眠時間は極端に短くなりました。
介護ロボットには大きな期待がある
このような中、効率よく安全に介護を続ける方法を常日頃考えるようになりました。狭い室内で父の動きに合わせ、自分がどの位置で、いつ、何をすればいいのか。また、さまざまな福祉用具についても注意を向けています。
前職では、分野は異なりますが新技術の開発を長年続けてきましたので、職業柄か介護の方法にも新しいアイデアが次々と浮かんできます。特に、福祉用具は大変ありがたいのですが、今後の開発余地は相当残されているように思います。
さらに将来、介護ロボットが活躍する時代に向け、現場に即したロボット開発の分野で日本の果たす役割は非常に大きいと思います。生活を支える介護、介助の多くを今は人が担っていますが、これらの多くの作業をロボットが担うようになったとき、人の役割は高齢者の心に寄り添う本来の姿になっていくのでしょう。
介護における家族の負担を減らし、余裕を持って高齢者の心に寄り添えるように、あらゆる介護環境が整えられることを心より願っています。
将来に備えて父に寄り添う
父に寄り添うようになり、私は今までにないほど父に親しみを感じるようになりました。父に話し掛けるとき、父の背中や肩に手を置き、耳元で分かりやすい言葉を掛けていますが、かつて若い頃、幼い子どもたちに抱いていた感覚がよみがえってきています。
その子どもたちは、今では立派な大人として活躍していますが、彼らの大切な幼児期に、将来に備えた温かい交わりを持たせてもらえたことを心より感謝しています。同じように、近い将来この世を旅立つ父親が、天の御国で胸を張って生きていけるように、微力ながらその備えの一端を担わせてもらえることを大変うれしく思っています。
信仰に対して極端なほど否定的だった父と、今では毎日祈りをささげています。特に新しい朝が迎えられたことへの感謝は、私の祈りの言葉以上に毎朝の父の表情に表れています。すべてに弱さが募る父を見ていると、これから幾度共に祈れるか分かりませんが、心を込めて「新しい朝をありがとうございます…」と、明日の朝も、心を合わせて祈りたいと思います。
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