ギリシャ正教の聖地アトスに20年近く通い続けたパウエル中西裕一司祭(日本ハリストス正教会)がこのほど、日本ではあまり知られていないギリシャ正教の信仰生活と教義について分かりやすくまとめた『ギリシャ正教と聖山アトス』を出版した。
聖山アトスは世界遺産に登録されているが、正教徒以外の入山は厳しく制限されており、これまで現地の様子は広く語られてこなかった。陸路では訪れることのできないギリシャ北東部の細長い半島にはおよそ20の修道院が点在し、現在も1700人の修道士が中世から変わらない、祈りを中心とした自給自足の生活を送っている。
中西司祭は毎年のように現地を訪れ、修道士たちとの信頼関係を築いてきた。2000年から毎年、アトス最古のメギスティス・ラヴラ修道院を訪れて輔祭を務めるほか、12年からは日本人としては初めて同修道院付属のケリ(修道小屋)で司祭として聖体礼儀を行っている。本書では、聖山アトスでの暮らしを紹介しながら、欲望が肥大しきった現代にこそ響くギリシャ正教の教えを丁寧に解説している。
世界遺産の中でも貴重な「複合遺産」
聖山アトスは、ユネスコの世界遺産の中でも数少ない、自然遺産と文化遺産を兼ね備えた「複合遺産」として登録されている。修道士たちの神に向かう営みそのものが、遺産として登録されているのだ。
限られた期間入山し、やがて世俗に戻って聖職者となるための修行の場ではない。すべての修道士たちは祈ることを「仕事」として、この地で生涯を終える。中西司祭は、自身が体験した聖山アトスの世界を次のように紹介する。
正教信仰の根幹となるものは神学理論の知的な理解ではありません。むしろ、建て前や理屈にとらわれることなく、神の前に偽らざる自己を置き、自らにしっかりと向き合う姿勢のもと、神に相応しい生活を送り、自らの変容、すなわち悔い改めを重ねる実践的な道行きが求められます。修道院はそういった生き方をする競争者の集まりなのです。(11、12ページ)
1日8時間以上の祈りは苦行ではなく喜び
そんな修道士たちの生活は、暗い禁欲生活を思わせるものでは決してないと中西司祭は断言する。1日8時間を超える聖堂での祈りに専心しつつも、修道士たちにとってそれは喜びに満ちた営みだという。
復活祭前の40日間、ギリシャ正教では大斎(おおものいみ)と称して徹底した節食を行う。修道院で初めて大斎の期間を過ごしたときの体験について、中西司祭は次のように記している。
復活祭を控えた大斎期間、その生活全般は他の時期より格段に厳しいものでしたが、ひたすら禁欲に努めることではなく、むしろごく自然な節制の日々を過ごしていくことによってこころも研ぎ澄まされ、祈りが深まるとともに安和の日々が流れていく喜びを私は実感することになりました。
修道院では、みな同じリズムで生活しています。祈りも、食事も、労働も、就寝も、寛(くつろ)ぎの時も、巡礼者との交流も。それは毎日同じ流れでした。こころが高ぶることはなく自然の、いわば精神の定流状態が維持されます。ある時期から、不思議に食べることへの執着心が遠のいてしまい、空腹の心地よさに変わっていったようでした。
それは、そこに住まう人達から何気なく伝わってくるもの、共同生活のなかで自然と得られる何かによるのではと思います。(149ページ)
「死は、通り道」
本書の出版に合わせて先月22日には、息子で写真家の中西裕人さんが、アトスを巡礼する中西司祭の姿を追った写真展を開催した。写真展のテーマは「死は、通り道」。祈りとは何か、生きるとは、そして死とは何か――。修道士たちと語らい、アトスの険しい山道をひたすら歩き続ける中西司祭の姿に、裕人さんは天国に通じる「希望」を教わったという。正教徒の死生観について、中西司祭は次のように述べる。
私達は抗(あらが)いがたい現実、不条理にたえず出会う存在です。そこに「喜び」というものはどうしてあるのでしょうか。それは、この世が真の世、真の人生ではないという「知恵」を深めること。それゆえクリスチャンにとって、死は、通過点なのです。修道士は、死は「お祭り」であるとまで言い切ります。
そして、本当の生命は、今ここにあるものとは違ったものであり、それは神のみもとにあり、神が人となったキリストが、すなわち神自らが私達に、その生命があることを伝えたものなのです。
それは未だ誰も体験していない隠されたものでありますが、それを確信することにより、この世の生を悔い改めとともに通り抜けて行けば、神をめざす道筋が確実にひかれているという安堵(あんど)感に満たされる、そこに「喜び」があるということです。正教信仰はその思いを確実にして、今を生きていく、この世のいとなみです。(224、225ページ)
■ パウエル中西裕一著『ギリシャ正教と聖山アトス』(幻冬舎、2021年7月)