米国で活躍する韓国系投資家のビル・ファン氏が経営するアルケゴス・キャピタル・マネジメント社が約200億ドル(約2兆2千億円)の株式売却を迫られ、野村ホールディングス(HD)など日本の大手金融機関にも影響が出ている。影響は世界の金融機関に広がっており、損失額の合計は最大で100億ドル(約1兆1030億円)に上る可能性も指摘されている。牧師家庭出身のファン氏はクリスチャンの投資家として知られており、スマホアプリ「聴くドラマ聖書」の制作を手掛けた日本G&M文化財団の米国法人「グレース・アンド・マーシー財団」の創設者であるほか、米フラー神学校の理事なども務めている。
野村HDは3月29日、米国子会社において「米国顧客との取引に起因して多額の損害が生じる可能性のある事象」が発生したと発表。損害額は試算で約20億ドル(約2215億円)に上るとした。米ブルームバーグ通信(日本語版)が同日、事情に詳しい複数の関係者の話として伝えたところによると、野村HDの損失はアルケゴス社の取引に関連したものだという。
三菱UFJ証券HDも30日、欧州子会社において「米国顧客との取引に起因して多額の損害が生じる事象」が発生したとし、損害見込額は約3億ドル(約332億円)と発表した。さらに、日本経済新聞は4月1日、アルケゴス社をめぐる取引でみずほフィナンシャルグループ(FG)に日本円換算で100億円規模の損失が発生する可能性があると伝えた。
ブルームバーグ通信によると、米大手銀行JPモルガン・チェースはアルケゴス社の取引の影響を受けた金融機関の損失は合計で50億~100億ドル(約5510億~1兆1030億円)に上る可能性があると指摘している。
アルケゴス社は、富裕層家族の資産運用や税務、法手続きなどを手掛ける「ファミリーオフィス」と呼ばれる形態の個人ファンド。ファン氏の家族財産を株式投資などによって増やし、グレース・アンド・マーシー財団などのキリスト教関係の宣教団体や慈善団体への寄付も行っていた。社名の「アルケゴス」は、ギリシア語で「先に立つ指導者」を意味し、イエス・キリストを指す言葉として、新約聖書の使徒言行録3章15節と5章31節、ヘブライ人への手紙2章10節と12章2節の計4カ所で用いられている。
アルケゴス社とグレース・アンド・マーシー財団は、ファン氏を含め複数の人材を共有するなど深い関係にある。米公益報道機関「プロパブリカ」(英語)で公開されているグレース・アンド・マーシー財団の財務資料によると、財団の所在地は、ファン氏がかつて運営していたタイガー・アジア・マネジメント社(06~12年)やアルケゴス社(13~16年)とされており、17~18年もアルケゴス社のウェブサイト(英語)に記載されているのと同じ住所となっている。
ファン氏は、日本ホーリネス教団が宣教協力を結ぶ韓国のホーリネス系教団である基督教大韓聖潔教会の第44代教団総会長を務めたファン・デシク牧師がおいに当たり、父は同教団のファン・イシク牧師、母は同教団のファン・イェヘン宣教師。高校3年の時に両親に従って米国に移住。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)を卒業した後は、カーネギーメロン大学で経営学修士号(MBA)を取得した。その後、伝説的なヘッジファンド運用者、ジュリアン・ロバートソン氏に弟子入りし、ウォール街でヘッジファンドのマネージャーとして頭角を現し、株式投資によって大きな成功を手にした。
現在は、グレース・アンド・マーシー財団のディレクターの他、米フラー神学大学の理事(英語)や、自らが通う教会員約100人の韓国系教会、ニューヨーク希望ホーリネス教会(韓国語)の長老などを務めている。基督教大韓聖潔教会の機関紙「聖潔新聞」(韓国語)によると、ファン氏は2018年、同教団系列のソウル神学大学に20億ウォン(約1億9600万円)の支援を約束するなどしている。
ファン氏が聖書の重要性を悟り、「聴くドラマ聖書」などのオーディオ聖書事業を始めたのは、2012年に起きた事件がきっかけだった。米証券取引委員会(SEC)の当時のプレスリリース(英語)によると、SECは同年12月、ファン氏とタイガー・アジア・マネジメント社などの運営会社が私募債で得た機密情報を基に、中国の銀行株3銘柄を空売りするインサイダー取引を行い、1760万ドル(当時換算で約13億7千万円)の利益を不正に得たとして、証券取引所法や証券法違反で起訴した。この事件でファン氏は、裁判所による承認を前提とした和解案により、4400万ドル(約36億円)の罰金を支払うことで合意していた。
一方、今回の巨額損失は2012年の事件とは異なり、悪意のない投資の失敗によると見られる。ロバートソン氏はブルームバーグ(英語)の取材に対し、「今回のことは恐らく誰にでも起こり得ることです」と言い、ファン氏が「立ち直ることを望みます」と話している。「本当に良い人間がひどい間違いを犯しました」。ロバートソン氏はそう述べ、「事業上の誤りであり、自身が他の誰よりもひどく傷付いたはずです。銀行やそういった類いから金を奪ったとかそういう話ではありません」とし、インサイダー取引などではないことを強調した。
ファン氏は、2018年に行った聖潔新聞のインタビュー(韓国語)で、クリスチャン投資家として多額の金銭を稼ぐことの是非について自身の見解を語っている。ウォール街という資本主義の象徴のような場所から何か良いものが出てくるのかという質問に、ファン氏は単に金銭を稼ぐのではなく、その金銭を使って行う善行を強調し次のように応じた。
「神様はこの世界を豊かにしようとされています。世界を豊かにするのは企業です。例えば、Aという企業が全国にあり、Aが販売している商品によって、金持ちが生きるためだけではなく、どこの誰でも安く良いものを購入することができるようになります。誰もが満足して幸せなこと、神様が喜ばれることのために、ウォール街は世界を豊かにする会社に投資しているのです」
一方、金銭の危険性については、金銭を火に例え、与えられた役割を超えた金銭が人を殺し、すべてを燃やすこともあり得ると語った。「お金だけではなく、他の偶像も同様です。地位や名誉、学歴、さらに家族でさえも偶像になることがあります。しかし、神様は私たちがお金を使うことを許しており、私たちは神の国のためにお金を使うことができます」
「資本主義社会では、多くのお金を稼ぐ金持ちになることがあります。そのお金は自分の幸福のために使うこともできますが、自分の欲のためだけに使うと、神様と隣人のために用いるお金がなくなります。御言葉を読みながら、神様とイエス様を知っていくと、どんどんお金よりも神様の方が良いと感じていきます。私は財団と幾つかの場所に寄付をしながら、私の名義のお金をどんどんなくしています。なぜなら、お金よりも神様が良いからです」
ファン氏はクリスチャンの財界人が歩むべき姿についても語っている。
「最も重要なことは、御言葉を通して神様が願い、喜ばれることが何なのかを正確に知る必要があるということです。神様は私たちのすべてが豊かで幸せに生きることを望んでおられます。ですから、クリスチャンのCEOたちがまず御言葉を聞いて学び、神様が願われることは何なのかを知って、それを行わなければならないということです」