国連の国際労働機関(ILO)などがまとめた「現代奴隷制の世界推計」によると、現在世界では4030万人もの人々が「現代奴隷制」の被害に遭っている。実に日本の人口の3分の1に相当する人々が、強制労働や性的搾取によって苦しめられていることになる。被害者の多くは女性で、全体の7割以上を占める。また全体の4人に1人は子どもだという。こうした人身取引の問題に、キリスト教精神に基づいて取り組んでいる団体がある。2017年に設立されたゾエ・ジャパンだ。
ゾエとは、ギリシャ語で「いのち」を意味する。新約聖書でも数多く出てくる重要な言葉の一つだ。ゾエの働きは、米ロサンゼルスで映像関係の会社を経営していた米国人夫妻、マイケル・ハートさんとキャロル・ハートさんが2002年に始めた。2人はそれまで「ビジネス100パーセント」の人生を送っていたというが、人身取引の問題を知り、その深刻さに衝撃を受けたことで、私財を投げ打ってこの働きを始めたという。
翌03年には、「子どもを買える国」と呼ばれ、世界中から人身取引の加害者が訪れるというタイで活動を開始。最初は現地の孤児院から子どもたちを引き受けるところから働きを進めていった。その後、11年にはオーストラリアで、そして17年には日本とメキシコでも、主に被害防止のための啓発を中心とした活動を始めた。
ゾエとの出会い 「これは日本でも必要な働き」
現在、日本のゾエ・ジャパンで中心的に活動しているのは、オズボーンゆりさんと秦地浩未(はたじ・ひろみ)さんの2人。オズボーンさんがゾエに出会ったのは米国留学中のことだった。米国の大学に在学中、インターンシップ先として働いたのがゾエだった。ゾエはタイの警察や福祉団体、教会などと連携して、人身取引から子どもたちを救出し、その後一人一人が自立できるまでの包括的な回復支援を行っている。インターンシップとしてゾエで働く中、オズボーンさんは人身取引の実態を目の当たりにしていく。また、タイなど発展途上国だけではなく、米国や日本においても存在する深刻な問題であることを知っていった。
タイから一時帰国したハート夫妻に日本の人身取引の状況を伝えると、日本でもゾエの働きが必要だということで意見が一致。その後、日本に帰国し、東京でハート夫妻と数人のコアメンバーが集まり、約2週間にわたってゾエ・ジャパンの設立に向けて話し合いの時を持った。その参加者の一人が秦地さんだった。
秦地さんは長らく製薬会社に勤務していたが、会社の組織編成のため退職したばかりだった。知人から別の仕事のオファーもあったが、「残りの人生を100パーセント神様にささげたい」という思いがあったため、そのオファーを受けず、祈りつつ進むべき道を探っていた。そんな中、宣教師として日本で20年以上奉仕していたキャロルさんの姉が、ゾエが日本で働きを始めるために人を探していると紹介してくれたのだった。秦地さんはかつて観光でタイを訪れた際、40歳前後の欧米系の男性が中学生くらいのタイ人の少女を連れてビーチを歩いているのを目にしたことがあった。地元の人からは買春だと教えられた。その時のショッキングな経験が、ゾエの働きに加わることを後押しした。
しかし、いざ日本での働きを始めようと思っても、2人とも法人を設立した経験もなく、資金もない。まったくのゼロからのスタートだった。本で調べたり、東京都の職員からアドバイスを受けたりしながら、約半年かけて一般社団法人を設立した。
見えにくい日本における人身取引の実態
国連の「人身取引議定書」の定義に照らし合わせると、アダルトビデオ(AV)への出演強要や、借金返済を理由とした性風俗での労働強要、日本の技能実習制度を利用した外国人の労働搾取なども人身取引に該当する。さらに児童買春や「パパ活」「援助交際」といった関係でも、金銭などの対価として性を買う行為は、18歳未満であれば本人の同意の有無を問わず人身取引と見なされる。しかし、日本の公的機関が発表している人身取引の国内被害者は、最も多い05年でも117人で、19年はわずか47人しかいない。オズボーンさんは「あまりにも実態とかけ離れている」と言う。
こうした日本の対応は米国も問題視しており、米国務省は「人身取引報告書」(20年版)で、過去2年間は4段階評価で最も良い「第1階層」としていた日本を、タイなどと同じ「第2階層」に格下げした。「日本では『パパ活』や『援助交際』など、人身取引に該当するものでも柔らかいニュアンスの表現に置き換えられ、技能実習制度における人身取引被害者が認定も保護もされず、強制帰国させられるケースもあります。人身取引の問題が他の言葉や他の問題として取り扱われ、実態を表す数値がないのが現状です。『人身取引報告書』で、タイと日本が同じランクというのが客観的な事実です」とオズボーンさんは指摘する。
「家族」の中で回復する子どもたち
タイ北部のチェンマイには、人身取引の被害に遭った子どもたちの回復のための施設「ゾエ・子どもの家」がある。被害を受けた子どもたちの多くは教育を受ける機会も乏しく、施設ではリハビリを行いつつ、さまざまな教育や職業訓練も行い、回復のための総合的なケアを提供している。現在、保護された子どもたち50~60人が暮らしており、スタッフが親代わりとなって「家族」を実感できる形でケアを行っている。スタッフは全員がクリスチャンで、強制ではないものの必ず一人一人にイエス・キリストの愛を伝えている。救出された子どもたちの中からスタッフになる人もおり、欧米化されていないタイの文化に根ざしたケアを行っている。
オズボーンさんと秦地さんもこれまで、数回施設を訪問したことがある。最初に訪れたときの印象について、秦地さんは「まるで天国ではないかと思うほど、清い感じの空気が漂う雰囲気でした」と話す。「同じアジア人だからか、子どもたちは少し恥ずかしそうな様子でしたが、きちんとあいさつもしてくれ、礼儀正しかったです」
一方、子どもたちの回復の速さには驚かされるものがあるという。最初は無表情だった子も、1年後に訪れると輝くような笑顔を見せてくれる。食前の祈りをしていると、小さな男の子がそっと背中に手を置いて祈ってくれたこともあった。「本当に心からイエス様を信じて祈ってくれているのだと感じました。私は何年もクリスチャンをしていますが、彼らの方が信仰的にはずっと先輩のように感じました」と秦地さんは証しする。
オズボーンさんは、「深い傷を負っているはずの子どもたちばかりのはずなのに、その回復の速さを見ると、これは人間の力ではできないこと、本当に神様がなさっていることだと感じます」と話す。しかしその一方で、「これが子どもたちの本当の姿なのだと思うと、彼らが経験した苦しみは私たちが想像することもできない大きな苦しみだったのだと思います」と言う。
クリスチャン、教会だからこそ
クリスチャンとして人身取引の問題に取り組むことについて、オズボーンさんはイザヤ書58章6~10節の御言葉を挙げて次のように語った。
「『悪による束縛を断ち、軛(くびき)の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折る』(6節)とありますが、人身取引の被害者救出の働きはまさにこれです。日本では、まずは多くの人にこの問題を知ってもらうことが大切です。そうでなければ、知らず知らずのうちに悪を野放しにし、悪に加担してしまうことになってしまいます。人々の意識が変わることで、政府の対応や法整備にも変化が現れてくるはずです」
一方、人身取引の問題は日本でもさまざまな団体が取り組んでいるが、そこに関わる教会が少ないという現実もある。
「人身取引の根本的な解決は、イエス様なしにはあり得ないと思っています。なぜなら根源は人の罪から出ていることだからです。イエス・キリストによる罪に対する解決を知っているクリスチャン、教会だからこそ、この問題をもっと知ってほしい、もっと祈ってほしい、どんな形でもよいからもっと関わってほしいと願っています」
大学卒業後はビジネスキャリアを築いてからゾエのような団体で働くことを考えていたというオズボーンさん。しかし、人身取引の問題を目の当たりにしたとき、それを無視することはできなかった。結果的に自分が思い描いていたのとは違うコースを歩むことになったが、そのことで逆に大きな祝福もあったという。「日本でゼロからのこの働きを始める中、神様との関係がぐっと深くなりました。人身取引というと、重く、暗く、難しい問題というイメージがありますが、実際にこの問題に取り組んだことで大きな祝福がありました。ここには神様の希望があると信じています」
ゾエ・ジャパンでは、働きを支える支援者を募っている。支援の方法は、寄付や講演会の開催、祈り、ボランティアなどさまざま。活動報告やイベント情報などを伝えるメールマガジンも発信しており、LINEによる10代限定の無料相談なども行っている。詳しくはホームページを。