ホンダの米国現地法人「アメリカホンダ」が大規模な工場を構える中西部オハイオ州で、日本人駐在員の家族ら約120人に聖書を用いて英語を教える教室がある。ダブリンバプテスト教会が運営するESL(English as a Second Language)教室だ。一時は閉鎖の危機にあったが息を吹き返し、現在は日本の教会とも連携するまで成長した。日本から遠く離れた地で日本人伝道の最前線に立つ同教会ESLミニストリー・ディレクターのクリス・ウィルソンさんに話を聞いた。
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初めにウィルソンさんがクリスチャンになったきっかけを教えてください。
15年前、私はまだクリスチャンではありませんでした。非常に頑固な性格だったため、神様は一歩一歩、私を導いてくださったのだと思います。私は米国でキリスト教の知識に囲まれて育ちました。子どもの頃、教会には通っていましたが、そこで聖書を詳しく教わることはなく、クリスチャンになることもありませんでした。大人になってからは、クリスチャンをよくばかにしていました。
しかしある時から、車の中でユダヤ人のトークショーを聞くようになりました。彼女は旧約聖書の話をしていました。彼女はとても賢そうで、私は興味を覚えました。しかし、彼女が旧約聖書を信じているとは信じられませんでした。その番組にはオーディオ聖書の広告が出ていましたが、その時はまだ聖書を買うのはばかばかしいと思っていました。しかし、時間がたつにつれて考えが変わり、とうとう購入してしまいました。何から聴き始めればいいのか分からなかったので、創世記から始めました。それからというもの、私はオーディオ聖書を聴くことにはまってしまいました。やめられませんでした。旧約聖書の中には暴力的な話も多いのですが、それでも驚きながらも聴き続けました。
それから後、父が重病にかかり入院しました。父が死ぬのではないかと感じ、本当に怖くなりました。その時はすでに、オーディオ聖書を聴き始めてから数カ月がたっていました。涙が出ました。私は家から遠く離れた場所で車を運転しながら、「神様、本当にいるなら、父の生死を教えてください。あなたが本物なら、何かを見せてください」と祈りました。すると突然、青く澄んだ空に人の胃のような形をした雲が見えたのです。病気により父の胃に穴が開いていたことを知っていたため、それが神様からのメッセージだと思いました。神様は私の祈りに、わずか1秒で答えてくださったのです。家に着いたときには、父はきっと生きていると確信しました。その後、母が電話で「大丈夫だよ」と伝えてくれました。私はすでにすべてのことを知っていました。神様は高速道路を走っている車の中で泣く私の叫び声を聞いてくださり、答えを見させてくださったのです。
その時から私の人生は完全に変わりました。それは私の計画したことではまったくありませんでした。夫はその時はまだ変わっていませんでした。彼は私がおかしくなったと思っていました。夫はその時はまだクリスチャンではなかったのです。
当時、通訳のビジネスをしていた私たちは、教会を訪れることもありましたが、それは信仰心からではなく、ビジネスの機会をできるだけ多く得るためでした。そのため、本当に神様を信じ礼拝しようと思ったとき、どの教会に行けばよいのか分かりませんでした。私たちは、キリスト教のラジオ局にメールを送りました。「良い教会を見つけたいのですが、どこに行けばよいでしょうか」と聞くと、5つの教会を紹介してくれました。その5つの教会の中で最初に訪れた教会が、ダブリンバプテスト教会だったのです。
ESLミニストリーに関わるようになった経緯を教えてください。
私はオハイオ州立大学で学びました。大学の近くにはホンダの工場があり、日本から来た駐在員が多くいました。私が大学に入学した日の夜、若い日本人女性と出会いました。彼女は私にホンダの技術者を紹介してくれました。私は当時19歳でしたが、その時からホンダで働く日本人駐在員に英語を教えるようになりました。そして、彼らの家族とのつながりもできました。しかしその時はまさか、自分が将来献身者になるとは思ってもいませんでした。
言語訓練や異文化理解に長年取り組んできた私は、「半分は日本人」といってもよいほどで、普通の米国人ではありませんでした。神様は、日本人を対象としたミニストリーをするために、私のこうしたバックグラウンドを用いてくださいました。
これは面白いことでも、恥ずかしいことでも、また悲しいことでもあるのですが、私がホンダの駐在員の妻や子どもたちに英語を教えていたとき、度々ダブリンバプテスト教会のESL教室について聞かれることがありました。しかし、その時まだクリスチャンでなかった私は、キリスト教に関してとても否定的なことを話しました。その時はまさか自分が、そのESL教室の責任者になるとは思ってもいなかったのです。
私たちがダブリンバプテスト教会に通い始めたとき、すでにESLミニストリーがありました。教会はESLミニストリーを通し、英語を母国語としない人たちに手を差し伸べていました。私の人生のそばには常に日本人コミュニティーがあり、私は教会でも何か自分にできることがあるだろうと思っていました。教会で行われていた日本人礼拝にも参加しました。ESLミニストリーにも関わりたいと思っていましたが、それはなかなか実現しませんでした。
そんな時、ESLミニストリーのディレクターが辞め、教会が新しいディレクターを探し始めたのです。毎週日曜日には、ディレクター募集の案内が掲載されていました。クリスチャンになったばかりだった私は、自分に何ができるか分かりませんでした。案内は6週間続きましたが、その後ピタリとやみました。教会の事務所に尋ねると、ディレクターになりたいという人が誰もいないため、ESLミニストリーを中止すると言ったのです。驚いた私は思わず「私がします」と言いました。
現在のESLミニストリーの働きについて教えてください。
昨年は新型コロナウイルスのため大変でした。通常は1クラス10~12人で、合計120人ほどが英語を学んでいます。講師は全員クリスチャンで、一人一人が救われていなければいけません。ミニストリーの主な目的は、英語を教える中で、救われていない外国人に福音を伝えることです。教材に聖書を使う講師もいれば、キリスト教のカリキュラムを使う講師もいます。クラスは、英語のレベルごとに4段階に分かれています。
受講生の9割以上が日本人です。多くは女性で、その大半が就労ビザを持つ夫と共に米国に来た主婦たちです。この場合、妻は通常、米国で仕事をすることはできません。夫は長時間働かなければいけない一方、彼女たちには自由な時間があります。英語を学び、福音を聴く絶好の機会だと思います。米国に来ると多くの困難に直面します。彼女たちはとても弱い立場にあり、孤立していて、時には悲しい時もあり、家族の助けもなく、まさに神様が手を差し伸べてくださる時です。受講生の中には、イラン人やメキシコなど中米出身のスペイン語話者、韓国人も何人かいますが、ほとんどが日本人です。
授業は毎週1回1時間半で、聖書の内容は最低でも15分は含めます。授業の後には、外国人のためのバイブルスタディーもあります。また、未就学児向けのESLもあり、聖書に基づいた福音中心の授業を行っています。大人のための働きも子どものための働きも、私たちは同じように誇りに思っています。
授業では、最初に聖書を読む講師もいれば、最後に聖書の話を持ってくる講師もいます。しかし、受講生の多くは聖書の内容をあまり気にしません。聖書に関する部分を飛ばしてしまう人もいます。チャレンジはあります。すべての人が福音を受け入れる準備ができているわけではなく、講師としては、時にもどかしく感じる時もあります。しかし神様は、それをも知っておられるのです。
ある時、私の故郷の近くまで受講生たちと一緒に旅行をしたことがあります。バンに、日本人の女性11人と男性1人を乗せて向かいました。興味深いことに、そのうちの3人はクリスチャンでした。私たちは片道3時間の道のりをずっと話し続けました。この日帰りの小旅行を終え、オハイオ州に到着したときにはすでに深夜になっていました。その時、日本人女性の一人が尋ねてきました。「もし私がクリスチャンになったら、葬儀はどうするのでしょうか。夫と一緒の墓でもよいのでしょうか」と。彼女は、キリスト教への入信と、それが家族や日本の伝統にとって何を意味するのかを考えていました。そこで、車に乗っていた3人の日本人クリスチャンが答えてくれました。そのうち2人はクリスチャンの夫を持ち、1人はノンクリスチャンの夫を持つ人で、良い対話ができました。
これまでにESLミニストリーを通して信仰を持つようになった人はいますか?
何人かいます。1人は昨年12月、宇都宮市の峰町キリスト教会で洗礼を受けました。彼女はダブリンバプテスト教会のESL教室に通っていた人で、バイブルスタディーにも参加し、日本に帰ってからバプテスマ(洗礼)を受けました。彼女は4年半ここにいましたが、幾つかの病気にかかっており体調を崩していました。そのような彼女にとってイエス様のメッセージは意味のあるものでした。彼女はESLの講師と良い関係を持ち、講師は希望を与えるために福音を語ってくれました。新型コロナウイルスの渦中にあって感謝したことの一つは、彼女が峰町キリスト教会のオンライン・バイブルスタディーに参加するようになり、バプテスマを受けたことです。
また、バイブルスタディーに参加していた別の女性の話ですが、その夫婦は子どもができず、不妊治療を受けていました。私は「神様がコントロールされている」と言い、子どもを授かるように祈りました。そして、彼女は妊娠しました。もしこれでも彼女が救われないなら、私はショックを受けていたと思います。でも私は、神様がすべてをコントロールされていることを知っていました。現に今、彼女には子どもがいます。しかも、その夫妻にとって最も適切な時期に子どもが与えられました。
峰町キリスト教会と協力するようになった経緯を教えてください。
私たちは種をまいています。駐在員の家族は互いにとても親密な関係を持っています。みんながそれぞれ何をしているかを知っています。そのため、互いの間にプレッシャーが生まれ、他の人が何をしているのか詮索することがあります。そうした中で聖書に書かれていることを信じたり、信仰を告白したりすることは大変な決断を要します。だからこそ私たちは、日本の教会と関係を作りたいと思ったのです。
2017年に日本を訪れた際、人々を教会につなげなければいけないと強く感じました。それまでは、ESL教室で私たちがまく福音の種が取られないようにだけ祈っていました。しかし、ESL教室から離れ、帰国した日本人のためにも祈るよう変えられていきました。
日本を訪れる前の冬、私は日本のどこに行けばよいのか分かりませんでした。ホンダの工場を探すと、その一つが栃木県にありました。私は、工場から近い宇都宮市でしっかりとした教会を探そうとしました。何人かが峰町キリスト教会を勧めてくれたので、私は教会に何通かの手紙を送りました。日本人は、お客として来る人を歓迎するという意識が強いと思います。私はお客さん扱いする様子ではなく、本物の峰町キリスト教会を見たかったので、約束した時間の前に訪問しました。教会が大学の隣にあるため、留学生がたくさん来ており、実際そこに米国人が一人いたとしても不自然ではありませんでした。
彼らは素晴らしかったです。あんな教会は見たことがありませんでした。信じられませんでした。私たちが見たものはすべて、私たちが彼らと一緒に働きをしなければならないという明確なメッセージとなりました。その後、峰町キリスト教会の安食弘幸先生と打ち合わせをし、共に働きをすることで合意しました。安食先生は良い意味で日本人らしくありませんでした。彼は神に導かれていました。私たちは、神様が峰町キリスト教会で何をされているのかに興味がありました。
その翌年から2人を日本に派遣しました。大人向けのクラスと子ども向けのキャンプがあります。私たちはこのような機会が与えられたことに、本当に感激しています。派遣した講師が今日本で教えています。私たちのESL教室にいた彼女の受講生たちは皆、彼女が日本に行ったことをとても喜んでいました。彼女は米国人ですが、日本語も上手です。
ESLミニストリーの将来に対する期待を教えてください。
今年は授業を再開したいと思っています。昨年は結局、9月まで授業ができず、10月と11月に授業を一度開きましたが、今はまた休講しています。以前は大人が約120人、子どもが約70人も教会に来てくれました。こうしたことは、オンラインではなかなか難しいのです。
さらに、もっと多くの国の人たちを巻き込むために、たくさん話し合いを持ってきました。男性たちにも働き掛けを始めました。女性は喜んで話を聞いてくれるのでよいですが、男性はなかなか難しいところがあります。私の夫は、男性たちを巻き込んで楽しいことをしようと計画しています。何が何でもインパクトを与えたいと本気で思っており、私はどんな新しいアイデアでも受け入れたいと思っています。
彼らが救われるために、何でもいいから試してみるだけだと思っています。できるだけ多くの人に参加してもらいたいです。ESLの講師も、チャイルドケアの先生も素晴らしい人たちです。人が救われていく過程に、罪人にすぎない私たちが参与できることを感謝しています。