生まれて初めてチベット映画を鑑賞した。タイトルは「羊飼いと風船」。何となくファンタジックな雰囲気が醸し出される。しかし、冒頭からその予想はまったく的外れであることが分かる。子どもたちが楽しそうに「風船」で遊んでいる。その「風船」を透かして向こう側を見ていると、そこに父親がやってくる。子どもたちは無邪気に父親に駆け寄る。だが彼らが遊んでいた「風船」を目にしたとたん、父の目が険しくなる。そしてそれを強引に奪い、破裂させてしまう。そしてこう言うのだ。「これは風船じゃない。今度ちゃんとした風船を買ってやる!」と。
実は彼らが遊んでいたのは、父親の枕の下にあったコンドームだったのだ。子どもたちにとっては、物珍しい遊び道具でしかないが、現代チベットに生きる大人たちにとっては、家族計画に関わる切実な避妊具である。この一見牧歌的な雰囲気の中にも、目まぐるしいスピードで変わりゆく生活と、それに必死でついていこうとする人々の心の乖離(かいり)が見事に描かれている。そう、タイトルとなっている「風船」には、そのような裏の意味が込められているのだ。
では、「羊飼い」とは? これは聖書的な意味合いとは異なる「羊を牧する者」の姿が投影されている。主人公である父親タルギェは、代々羊飼いを生業とする家系である。彼は友人から「種羊」を借りてきて、雌羊の群れに放つ。そしてちゃんと生殖機能を持った羊だけを残し、年取った羊、または子を産まない雌羊を「処分」することを生業としていた。ここにさきほどの「風船」との関連が見て取れる。つまり「羊飼い」とは、羊をいかに効率的に繁殖させ、繁殖のために精力旺盛な雄羊を見極め、さらに多産な雌羊を選び出すことに長けた職業人を指していたのである。
一方、「風船」はこの生殖を制限するためのものである。羊においては多産を奨励するが、人間の子となると「風船(コンドーム)」を用いて抑制をかける。
映画のタイトル「羊飼いと風船」とは、「命を操作する」ことの危うさと冷徹さに対するアイロニカルな視点と、それをせざるを得ないチベット社会への現代的まなざしが複層的に込められている。
物語はそのようなチベットに生きる現代家族のありさまを淡々と描いていく。タルギェの父、タルギェの息子たち、そして妻ドルカルと妻の妹、彼らの各々の日常がまるでジグソーパズルのピースのように少しずつ適材適所にはめ込まれていく。そして全体の俯瞰図が見えてくるとき、そこにどんな模様が出現するのだろうか。これが本作の肝の部分である。
この模様に強烈なアクセントを与えているのが、仏教の「輪廻(りんね)転生」という概念である。子どもたちのちょっとしたいたずらによって、「命の操作」にほころびが出てしまう。タルギェが新たに枕元に仕込んでおいたコンドームを、子どもたちが風船と勘違いし、友達の持っていた犬笛と交換してしまうのである。いざ夫婦の営みをしようと思ったとき、危険を避けることができない状況が生まれてしまう。しかし、貧しい彼らにコンドームを大量に購入しておく余裕はない。また、チベットの山奥にまで配給があることもまれである。だから夫婦は「風船」なしで「羊飼い」の業を為してしまうのだった。
数カ月後、ドルカルの妊娠が発覚する。しかしチベットでは、中国の一人っ子政策の影響で、子どもは3人までと決められており、それ以上生むと罰金を取られてしまう。では、堕胎すればいいのかというと、実はそこにも大きな難題が降りかかってくる。それは、懐妊する数カ月前、タルギェの父が他界し、その葬儀の後で、高名な僧侶から「そなたの父はまもなく輪廻転生でこの地に戻ってくる」という預言めいた話を聞かされていたのである。
タルギェは、生まれてくる子が父の生まれ変わりだと確信する。しかし、ドルカルは経済的にも法的にも4人目の子どもは産めないと考えていた。果たしてタルギェは4人目の子どもを手にすることを決断するのか。それとも、宗教的な戒律、教えを無視して堕胎を認めることになるのか。このあたりの展開がとてもスリリングである。
私はキリスト教の牧師として、本作をとても興味深く鑑賞することができた。まず、同じ「中絶反対」であっても、その理由がまったく異なっていること。キリスト教は創造論的観点から「命は神からのもの」と捉える。一方、本作に登場する仏教では、「輪廻するから、この命を殺すことは、あなたの先祖様を殺す罪を犯すことになる」という発想である。一方、時代や生きる場所が異なれど、やはり女性の立場が男性に比べて弱いという点は、両宗教に共通しているように思えた。父性社会という共通の土台に立つなら、宗教的に堕胎が認められず、しかも社会的に女性蔑視の風潮にさらされる主人公の妻という設定は、両宗教に共通した現代的な課題である。
物語の結末は、ぜひご自身で確かめてもらいたい。本作は、観る者の姿を映す鏡のような作品である。私が、あなたが、「こうであってほしい」という解釈を、ラストに切り取られるある風景に転写させることになるだろう。
たまにはこういった「異質の宗教世界」を垣間見るのもいいものだ。そうやって自らの立ち位置を相対化させ、より複眼的な視点で自己省察をすることができる。
あまり大規模な公開は期待できないが、ぜひチャンスを見つけてご覧になっていただきたい秀作である。1月22日(金)から、シネスイッチ銀座ほかで全国順次ロードショーされる。
■ 映画「羊飼いと風船」予告編
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