2. 『人類に希望はあるか 21世紀沖縄への提言』と本書
私が本書(『わが足を広きところに モルトマン自伝』)を読む切り口は、当然、モルトマン先生が沖縄を訪問なさった事実とその際、モルトマン先生の講演を拝聴した経験が手掛かりになります。ですから、モルトマン先生の沖縄訪問の報告書である(1)モルトマン博士招聘委員会編『人類に希望はあるか 21世紀沖縄への提言』(2005年、新教出版社)が、大切な手引きになります。
同時に、本書の中で、モルトマン先生ご自身が沖縄訪問について直接語っておられる箇所も、量的にはそれほど長い箇所ではありませんが、やはり注目を引きます。(2)第8部「終わりの中に始まりが」の第2章「新しい重要点」その2「アジアの世界で」です。
もう1つ、興味深い資料があります。(3)本書の訳者のお一人、蓮見幸恵先生が、『終りの中に、始まりが―希望の終末論』(2005年、新教出版社)の「あとがき」でお書きになっていることです。2003年4月、モルトマン先生に同行された沖縄のホテルで、ゲラ刷りが渡される、まさに現場で書かれたものです。
(1)『人類に希望はあるか 21世紀沖縄への提言』
この報告書には、モルトマン先生が沖縄を訪問するに至る、いわばドラマがモルトマン博士招聘委員会の代表である饒平名長秀(よへな・ちょうしゅう)先生によって紹介されています。(「はじめに――モルトマン博士を沖縄に迎えて」)
要請に応答して、以下に見る4本の講演と1つの説教が紹介されています。各講演の表題を見るだけで、その内容を推察できるのがうれしいです。
<講演>
自然の破壊と癒し
平和の建設と龍の殺害――キリスト教における神と暴力
先祖崇拝と復活の希望
人類に希望はあるか――グローバル化とテロリズム
<説教>
目を覚まして祈りなさい――マルコ一四・三二―四二による説教
この講演が一方的な語り掛けでなく、徹底的な対話であることは、6人の方の応答の表題が明示しています。
<応答>
モルトマン先生を沖縄にお迎えするまで 長嶺浩吉
モルトマン氏を沖縄に迎えて 村椿嘉信
モルトマンとの出会い 金永秀
先祖崇拝と復活の希望 谷昌二
社会に生きているキリスト教 村山雄一
沖縄の心とモルトマンの心 蓮見和男
上記の講演と応答の中で、沖縄の状況を考えるならば、講演「先祖崇拝と復活の希望」と応答「先祖崇拝と復活の希望」は、確かに注目されます。
しかし、死の現実は、沖縄における状況だけではなく、何よりもモルトマン先生ご自身の信仰の出発が、死が力を誇る現実のただ中からのものであり(第1部「青少年時代」第3章「戦争捕虜」)、復活信仰が希望の光であることを、本書を通し、また4回の講演を通して提示されています。
(2)第8部「終わりの中に始まりが」の第2章「新しい重要点」その2「アジアの世界で」
モルトマン先生ご自身がどのような決意で2003年4月、沖縄を訪問なさったか、ご自身で記述している文章(485~487ページ)は、本書の中でも特に私にとってとても貴重なものです。
例えば、敬愛する「金城(重明)教授は、今日八十歳で、那覇中央教会の牧師ですが、長いドライブの車内で、私に話してくれました。敗北した日本軍の兵隊は、渡嘉敷島で彼の村の家族を、『天皇の栄誉』を守るために大量自決をさせようと、洞穴に追い込んだと。彼自身も弟と一緒に自分自身の母を打ち殺すよう強制され、そしてただ偶然から生き残ったと、語ってくれました」(487ページ)。
(3)『終りの中に、始まりが―希望の終末論』の「あとがき」
「あとがき」は、文頭から「二〇〇三年四月、J・モルトマンは沖縄に来られました。那覇空港に降り立ったモルトマンは、生き生きとした姿で、『モルトマン招聘委員会』メンバーの一人ひとりと、熱い握手をかわしました」(269ページ)と生き生きと書き出されています。そして訪問全体を「沖縄の超教派の信徒、教職が一丸となって行われた五回にわたる講演、説教、シンポジュウムは、聖霊が豊かにくだるのを覚え、そのメッセージは、沖縄の人びとの心を深く捕らえました」(269ページ)と総括されています。
このモルトマン先生、また蓮見ご夫妻との出会いは、私のクリスチャントゥデイでの働きにとって、確かに思いを超えた備えであったことを、今確認するのです。
あることをないかのようにしない。そうです、死の現実がどれほどのものであっても、それを正面から直視する、静かな忍耐の戦い。それを可能にし、支える復活の希望。これがモルトマン先生の沖縄滞在中、集中的に注ぎ出されたメッセージであり、本書で著者の驚くべき記憶と記録で展開されている励ましと受け止めます。
ユルゲン・モルトマン著『わが足を広きところに モルトマン自伝』(2012年、新教出版社)
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