昨年2月18日から翌19日にかけて刃物を持った男が千葉県佐倉市にある日本長老教会佐倉王子台チャペルに立てこもった事件で、「傷害・監禁・銃砲刀剣等取締法違反」の罪に問われた小田部大輔被告(37)に対し、27日、千葉県地方裁判所で高木順子裁判長より判決懲役5年が言い渡された。
慎重な面持ちで判決を聞いた被告は、表情を変えることなく速やかに退廷した。
教会が現場となり、「カウンセリング」をめぐって起きた今回の事件。「日本全国、どこの教会でも、このような事件に巻き込まれる可能性は十分にある」と単立上馬キリスト教会(東京都世田谷区)牧師でカウンセラーの渡辺俊彦さんは警鐘を鳴らす。渡辺さんは多摩少年院に4年間、法務教官として勤務した経験を持ち、今は児童養護施設東京育成の園長を兼任している。
渡辺さんのコメント
教会を場としてカウンセリングを行う場合、専門性がなくても、愛を動機として「祈り」と「信仰」で何とかなると思っている人々が少なくないのが現状です。今回のケースで言えば、教会はクライアントに対して専門的なアセスメント、適切な関わり方ができなかったのではないでしょうか。
特に現代は、地域教会が地元の社会資源と連携し、一人一人をケアすることが求められていると思います。そのことによって、教会も地域社会の中で社会資源となり得る可能性を持っています。それだけに牧師の祭司的な機能には、対人援助者としての高い専門性が求められているのです。ここに牧師に対する時代的要求があると思います。
そもそも、一般的にカウンセリングは万能であるかのように思っている人が多いですが、決してそうではありません。カウンセリングが成立する人としない人が存在します。カウンセリングは「自分を知りたい」「自分を変えたい」という願いや「自分を分析できる力」がないと成立しないものです。発達障がいの方々については、家族の理解と協力を得て検査をすることが求められます。そして、診断結果を尊重し、適切な社会資源につなげ、個々に適した対応と訓練などが必要となります。
教会は、自分たちの力量を超えたケースについては、信頼のできる機関やカウンセラーに委託することが重要です。なぜなら、教会が信仰と祈りだけで何とかなると、あれもこれも抱え込んでいることが少なくないからです。そのために、かえって状況が悪くなってしまうケースが多々あるのが現実です。それだけに、教会はリスクマネージメントの意識を常に持って対応しなければならないと思います。少なくとも、以上のような自覚と対応ができたら、今回のような事件は回避できたのではないでしょうか。
日本の牧師は一般啓示と特別啓示の関係性を理解し、臨床牧会の専門的な力量を身に付けなければ対応できない時代に入っていると私は感じています。そして、一人一人の牧師は良き指導者を持つことだと思います。