これは米国に研修に行ったときに聞いた話ですが、ある牧師は子ども時代、兄弟が多く、決して恵まれているとはいえない環境だったそうです。いよいよ故郷を離れて都会へ出ていくときに、母親は次のように話したそうです。
「貧しく、兄弟も多かったから、十分なことはしてあげられなかったけれども、どこに行っても、自分が何者かを忘れてはいけないですよ」。都会の中で誘惑に負けそうになると、母親の顔とこの言葉が浮かんで、ブレーキをかけることができたと話していました。
私は両親の死後、役所で戸籍を調べる機会があり、自分の戸籍をさかのぼって調べていただいたことがあります。役所の資料だけで、江戸時代の安政年間まで分かりましたので、とても驚きました。系図の専門家に依頼すると、鎌倉時代まで分かるというから驚きです。
ご先祖様の系図を見ながら、なぜ私は神様に選ばれ、キリスト信徒の仲間入りさせていただくことができたのか不思議に思いました。
「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」(エレミヤ書1:5)
私は小学生の時、学校の図書館に寄贈されていた聖書を手に取る機会があり、その内容を学びたいという思いがありました。そして、中学生になってから教会の戸を叩きました。偶然ではなく、導きだったという思いがあります。
高校卒業後、聖書学院に導かれ、聖書を学ぶ機会が与えられました。その後、牧師となり、教会でも働かせていただきましたが、米国で学びたいという強い思いがあり、渡航の機会が与えられ、弟子訓練講座、カウンセリングなどを学び、米国での教会と社会との関わり、教会の様子、牧師の働きなどについて研修という形で学べたことは感謝です。米国での一番の収穫は、まるで身内のように私を受け入れ、支え、祈ってくださる多くの友人に出会えたことです。
帰国してから、弟子訓練の学びの実践、教会成長研修などいろいろ試みる機会が与えられました。そういう中でブライダルミニストリーに関わるようになりました。ブライダルの働きを通してさまざまな職業の方々と接することができましたのは大きな恵みです。
もっとより深く社会との接点を持ち、自立した働きを目指していくために株式会社カナルファを設立しました。「牧師なのに、株式会社を設立するとは何ということだ」というご批判も頂きましたが、とても有意義な機会が与えられています。
会社法人化したおかげで、商工会議所などで経営者の方々と親しくなり、お話しをさせていただく機会が増えたことはとても喜ばしいと思っています。
また、鹿児島県宗教者懇和会にも加わり、他の宗教の方々とも知り合い、交流を持たせていただいていることは感謝です。他の宗教者との交流の中で、キリスト信徒に導かれている恵みをあらためて感じることができます。また、他の宗教から学ぶことはとても多いように思います。
牧師になりたての頃、日本のキリスト教界を引っ張っておられたH先生に会うことができました。先生は私に「牧師として3つの国を訪問しなさい。韓国、アメリカ、イスラエルです。韓国はアジアの国の一員であり、日本と同じ仏教徒と儒教の国なのにキリスト教が急成長しています。アメリカに行くとキリスト教の光と影の部分が見られます。イスラエルは聖書の舞台となった国ですから、自分の目で見ることで聖書の理解に大きな影響があります」と教えてくださいました。
私は、「どの国にも行ける自信がありません。お金がありません」と答えてしまいました。これに対してH先生は、「お金は問題ではありません。ビジョンを持って祈ると、お金はついてきます」と諭されました。
結果的には、この3つの国だけでなく、エジプトのピラミッド、ギリシャのパウロの世界など、自分が行きたいと願ったところは全て訪問できました。
キリスト教冠婚葬祭を通して宣教を前進させるために、会社法人化も1つの方法として生かしていけたらと願います。背後に多くの方々の祈りと隠れた支えがあることが示され、ただ感謝するしかありません。
亡くなった米国の友人が生前、励ましのために送ってくれた言葉です。「再点火しなさい。神が『終わった』と言われるまで終わらない。もう一度信じることを始めなさい。もう一度夢見ることを始めなさい。神があなたの心に示されたことを成し遂げることを始めなさい」
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わすに行いなさい」(ピリピ書2:13、14)
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