米国でカウンセリングの研修を受けているときに講師に言われたことですが、カウンセラーが自分で語るよりも相談相手に語らせるほうが問題解決に近づきやすいそうです。
「沈黙は美徳」などと言われることもありますが、心のストレスを解放するためには、なるべく語ることが必要です。自分の話を聞いてくれる人がいたらベストですが、ペットの動物や草花が相手でも構いませんので、言葉を発するほうがいいそうです。しかし、あまりにもネガティブなことばかり言い続けますと、草花もしおれることがあります。その時は「聞いてくれてありがとう」と言うといいそうです。
この研修の中で学んだことですが、教会の礼拝に参列している人の中に、一言も口を開かずに家路につく人がいるそうです。牧師さんの説教に耳を傾け、信徒代表の発言を聞くだけで十分に心満たされているかもしれません。その人の近況、感じていること、祈りの課題などを実際に表現できる機会をつくるように推奨されました。また、交わりの会で誰かが聖書の意見を言ったら、その人の解釈を批評しないで尊重する雰囲気づくりが大切だと学びました。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリピ4:6、7)
心の中にある願い事を全て打ち明けることができるのであれば、お祈りは最高のカウンセリングということになります。お祈りは、黙って心の中で祈るのと、口を開いて言葉で祈る場合があります。なるべく無言ではなく、言葉で言い表すことのほうが心の解放になります。
ある有名な作家の講演会で聞いた話ですが、この作家は執筆に行き詰まると、奥さんにお茶を入れてもらうそうです。ひとしきり奥さんを相手にして語っていると、突然「そうだ」と叫んで机に向かうそうです。奥さんは一言もアドバイスしなくても、聞いて、話をさせてあげるだけで、本人が1人で解決策を見いだすのだそうです。
人の心というのは見えないものですが、もし図で表すと海に浮かぶ氷山がふさわしいのではないかと思います。氷山の一角というように、海面上に出ている部分はわずかです。人の心は表面から探れるものはほんのわずかな部分にすぎません。
人の心の奥深いところでその人に影響を与え続けているのが「トラウマ」と呼ばれるものです。多くのトラウマは私たちの幼少期に形成され、一生影響を与え続けます。このトラウマの軽減に役立つのが「甘え」です。この甘えを受け入れてもらうことで、トラウマを消化していく一歩になるそうです。
個人差はありますが、男女で甘え方に違いがあるといわれます。女性はこの甘えを言葉で表現できるそうです。夜の遅い時間になって「アイスクリームを食べたい」と言われて応じてあげると、機嫌が良くなることがあります。自分でも子どもっぽい行為だと分かっていて、それを聞いてもらうことで、甘えを受け入れてもらったことになります。
男性は自分の気持ちをストレートに口に出して表現することが、女性に比べるとあまり上手ではないと思います。男性は表現することよりも、察してもらうことを喜びます。「お茶を入れましょうか」とか「コーヒーにしましょうか」と声を掛けてもらうと機嫌が良くなります。
私が米国に研修に行っているときだったのですが、私の世話をしてくれていた米国人の牧師がロサンゼルスに住む著名人を訪ねようと提案してくれました。この著名人のご夫妻は、夫婦とも講演活動、執筆活動に忙しい方々でした。その日はたまたまご夫婦で在宅でしたので、訪問しました。
訪ねて行ったときに、奥さんが「コーヒーはどうですか」と声を掛けてくださいました。同行者が「要りません」と断ったものですから、私は欲しかったのですが、遠慮して「要りません」と言ってしまいました。
そうすると、その奥さんが「今、要らないでしょうけど、途中で欲しくなるかもしれないから、一応用意しておきます。いつでも声を掛けてくださいね」と答えられたのです。私はその配慮に驚きました。米国では遠慮するといつまでも何も出てこないのが常識だったからです。
遠慮せずに、主なる神を呼び求め、祈りのうちに心を尽くして語っていくことで、私たちの精神と心は解放されます。
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ33:3)
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