洋楽に詳しくない人でも“JB”(ジェームス・ブラウン)がソウルミュージックの帝王といわれる存在だったということは知っているはずだ。しかし、彼がどんな人生を送ったかは知らないかもしれない。恥ずかしながら、私もその1人だ。どちらかというと、昔のカップヌードルのCMの印象が強い。「ミソッパ!」(懐)
そんな人にこそ、この映画は無条件で見ていただきたい。奴隷の労働の中から生まれた黒人霊歌(ブルース)やゴスペルの流れからスタートし、黒人音楽とポップスの高い垣根をぶち壊して「ファンク」という新しい音楽ジャンルをつくり、キング牧師と共に黒人公民権運動の象徴として生き、あのマイケル・ジャクソンや今年亡くなったプリンスほか、現在まであまたのラップ、ヒップホップのスーパースターが憧れ続け、絶大な影響を受けた20世紀のスーパースターの中のスーパースターの生涯が、貴重な映像と音楽で知ることができる、とても見ごたえのあるドキュメンタリーなのだから。そして、それは黒人の信仰と音楽と政治についても多くのことを教えてくれる。
「ソウルとは何か? もともとは教会のスラングだ。それは“生き残ることだ”」という言葉には、悲惨な貧困の生い立ちの中から這い上がったJBの全てが凝縮されている。
1933年、米国南部の掘っ立て小屋のような家で生まれ、4歳で母に捨てられ、6歳で父と2人で70キロ歩いて町に移り住み、売春宿を営む祖母と共に暮らした。9歳の時には売春宿の客引きをしていたという極貧の生活。「近所の女たちは教会に行きながら、そのあとに売春宿で客を取っていた」という。
14歳の時にラジオ局の前で靴磨きをしていたことから音楽の世界に飛び込み、当時は土曜日にはライブハウスで歌い、日曜日には黒人教会でゴスペルを歌っていたJBは、少しずつスターへの道を切り開いていく。
50年代の若き日のライブ映像もふんだんに盛り込まれていて、これがとにかくもうめちゃくちゃクールでかっこいい! 足のステップの切れ味たるや、もうキレッキレでまるでマイケル・ジャクソンみたい!(というのはむしろ逆でマイケルが最大の影響を受けた存在がJBなのだから[笑])会場は総立ち、女の子たちは金切り声。
当時、黒人音楽と(白人が歌う)ポップスには厳然たる垣根があったという。その垣根をパワフルなダンスと歌でぶっ壊したのがJBなのだ!
ミック・ジャガーも憧れたJBのダンス
当時のトップミュージシャンたちが出演した音楽番組の映像と、ローリングストーンズのミック・ジャガーのインタビューも圧巻だ。ミックは少年の頃、アポロシアターのJBのライブによく通い憧れていたという。
この番組に2人は出演していたが「あまりにJBのダンスがキレッキレなので、次の出番だったミックが怖気づいた」という伝説があるそうだ。ミックはこう答える。「それはうそだよ。あの番組のファンだった10代の女の子はみな僕らを見に来ていたんだから。でも今見ても、ダンスはJBには全然かなわないのは確かだけどね(笑)」。ちょっとむきになりながら笑顔で懐かしそうに語るその表情は、JBへのリスペクトというか尊敬するスターを思い出す少年みたいで、洋楽音痴の私ですら思わずぐっと胸に迫るシーンだ。
スターになったJBは、さらにゴスペルにジャズを融合させ、「ファンク」という新しい音楽ジャンルを切り開いていていく。それは現代のラップやヒップホップにも絶大な影響を与え、マイケル・ジャクソンや今年亡くなったプリンスも、いわば“JBの子ども”だったのだなぁと、その存在の大きさに本当に圧倒されてしまう。
政治と音楽、公民権運動のアイコンとなったJB
米国は1960年代に入ると、黒人が差別撤廃と社会的な権利を求めた公民権運動の激動の時代となる。この先頭に立ったキング牧師ともJBは深い交流があった。ある会場に集まった山のような黒人たちの前でキング牧師が「今日は議論ではなくJBの歌を聞きたい」と語り、大観衆の前でJBが歌うと、盛り上がりは最高潮に。キング牧師が言う。「彼の歌を聞いたか。これこそブラックパワーだ!」
そしてJBは、黒人の権利を求める公民権運動における「ブラックパワー」の「アイコン」となり、以後黒人の差別撤廃、地位向上を訴えることになる。
1968年にキング牧師が暗殺された直後、全米各地で黒人による大暴動が発生した。この時、ボストンでのライブも危ぶまれる中で結局開催されるが、演奏中に興奮した群衆がステージの上につめかけ、あわや暴動に発展しそうになる。
しかし、JBは「客席に戻れ。同胞たちの誇りを傷つけるな」と必死に諭すことで、群衆は客席に戻り、暴動はぎりぎりで回避された。(結局ボストンは暴動が起きなかった数少ない都市となったという)このあたりの映像は、見ていて震えるものがある。
なぜJBはリチャード・ニクソンを支持したのか?
1968年の大統領選でJBは、共和党のバリバリの保守派・タカ派だったリチャード・ニクソンを支持し、その当選に大いに貢献したという意外な事実も描かれている。
ジェームス・ブラウンは貧民街から自分の才覚で這い上がったという自負がとても強い人間だった。“施しは必要がない”“自分の力で自立して生きなければならない”という信念から、福祉切り詰め、自立を訴えた保守派のニクソンに共感することになったのだという。
しかし、当選したニクソンは「あの黒人男にはもう会いたくない」と語る。結局、“ブラックパワーの象徴JB”は政治的に利用されただけだったという冷徹な政治の実態も垣間見え、なかなか考えさせられる。
孤独の人JB
ミュージシャンとしての輝かしい功績を伝える一方で、その“影”にもきちんと触れられている。映画の前半、インタビューの中で懐かしさと尊敬を込めて語っていたバンドメンバーも、金銭のことになると皆一様に顔が曇る。スーパースターとして莫大な金銭を稼ぎながら、バンドメンバーには十分なギャラを払わず、遅延や支払いをしないこともしばしばだったという。
そして、バンドの中では「暴君」でもあった。悲惨な極貧の生い立ちの中から這い上がり、自分の才能と生き方に強烈な自負を持っているが故に、他者には傲慢(ごうまん)極まりない人間でもあったという。そのギャップがまた生々しい。
貴重な映像と音楽を通して、そのあまりにもまぶしい光と暗い影を共に見ながら、世界的な黒人神学者J・H・コーンが、その名著『黒人霊歌とブルース アメリカ黒人の信仰と神学』の中で黒人音楽について語っていた言葉を思い出した。
それは人間実存の真理と、黒人が団結しようとして経験する諸困難を取り扱っている。それは彼らの強さと弱点、喜びと悲しみ、愛と憎しみについて語っている。そして、彼らは彼らの最も親密な、尊い感情をあからさまに表現したゆえに、非常に困難な環境のただ中で共同体として生き抜くことができたのである。
彼らは共に歌い、共に祈り、共に眠った。それは時に甘く、時ににがかった。
だが、彼らはそのように試みたからこそ、何とか生きてこられたのである。彼らは新しい黒人共同体を求めて「前進しつづけた」のである。
コーンの言う黒人音楽と信仰は、まさにJBの生き方に重なっているように思える。
この映画の中でJBのキリスト教信仰が直接描かれるシーンはない。しかし、その音楽と生き方、そして“ソウル”は、黒人の苦難の歴史の中で生まれた音楽と信仰によるものだと思い知らされた。
いずれにしろ、洋楽好きもそうでない人も、この夏、一番のお薦めのドキュメンタリー映画だ。
■ 映画「ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン」予告編