今から5千年前に造られたエジプトの王の墓から、ワインの壺が発見されたというニュースを新聞で見た記憶があります。しっかりと漆喰(しっくい)で封印されていたので、原液が蒸発せずに残っていたようです。中には薬草が入っていたようで、薬用酒として用いられていたようです。
しかし、驚くべきはその生産地が特定されたということです。ヨルダン川のほとりで生産され、海を越えて、エジプトまで運ばれていたのです。まだ、古代イスラエルが建国される前の出来事です。
イスラエル旅行中に日曜日を迎え、ホテルの一室で聖餐式を行いたいとホテルのオーナーに伝えたところ、安息日のためのワインと種入れぬパンを用意していただけることになりました。そのワインを一口含んだとき、言葉に表現のしようのないくらい甘くおいしいものでしたので、とても驚きました。寒暖差のあるブドウ園の中で日当たりのいいブドウの粒だけを選んで製造したワインということでした。
その甘いワインには特別の理由があるというのです。甘い(sweet)には、優しいという意味もあります。安息日に家族で交わり、1枚のパンを分けて食べ、結束を確認し、甘いワインを口に含むことで、お互いを思いやる優しい気持ちを持つようにするという意味があるそうです。
モーセの十戒の中に「あなたの父と母を敬え」という教えがあります。ユダヤ教徒の家庭では、安息日ごとに両親が子どもたちに神の教えを語り継いでいました。子どもからみますと、親は神の言葉を取り次ぐ代理人ということになり、「神を敬う」のと同じ気持ちで親に従う必要がありました。
「主は右の手と、力強い腕によって誓われた。『わたしは再びあなたの穀物を、あなたの敵に食物として与えない。あなたの労して作った新しいぶどう酒を、外国人に決して飲ませない。取り入れをした者がそれを食べて、主をほめたたえ、ぶどうを取り集めた者が、わたしの聖所の庭で、それを飲む』」(イザヤ書62:8、9)
イスラエルのワイナリーはほとんどが小規模経営で手作りという状態ですので、大量生産はできません。だから、特別のおいしさがあるのかもしれませんが、入手困難なことは間違いないようです。ホテルのオーナーの話では、安息日とか宗教行事に関わることで利益を上げてはいけないといわれているので、とても安い値段でワインを提供してもらいました。
ノアやモーセの時代にはワイン造りが確立されていたことを旧約聖書からも学ぶことができますが、ローマ帝国時代にもイスラエルのワインは定評があり、輸出されていたようです。しかし、その主流は敬虔なユダヤ教徒向けのコーシャスワイン(ユダヤ教の戒律を守って造るワイン)だったようです。
西暦70年にローマ帝国にイスラエルが滅ぼされ、国土を失い、その後イスラム教徒に支配されたときにはワイン造りが禁止された時期もあります。儀式用のコーシャスワインが細々と造られる状態でした。
1970年初頭、カリフォルニア・ランヴィス校の醸造学教授コルネリウス・オウフがイスラエルを訪れ、ゴラン高原が高品質のワイン生産に適した土壌と気候を持った産地になると指摘したことに始まります。1976年に最初のブドウの木がゴラン高原に植えられ、1983年にゴラン・ハイツ・ワイナリーが設立され、イスラエルのワインが一般に普及するきっかけになります。また、ワインといえばキリスト教の聖餐式とも関連があります。
過越の祭りの時に、キリストは弟子たちと共に最後の晩餐を持たれますが、安息のワインと種入れぬパンに特別の意味を与えられます。
「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。』夕食の後、杯をも同じようにして言われました。『この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。』ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです」(Ⅰコリント11:23~26)
イスラエルのワインの甘い香りの中に、ワインの5年の歩みと、厳しさの中にも優しい交わりを求め、家族の結束を求めたユダヤ教徒の教え、またキリスト教徒の信仰の決意を見ることができます。1杯のワインの中に歴史の流れを見ることができます。
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