映画史に残る名作「木靴の樹」で知られる、イタリア映画界の巨匠エルマンノ・オルミ監督の最新作「緑はよみがえる」が、23日(土)から岩波ホールほか全国で順次公開される。今年84歳になるオルミ監督が、第一次世界大戦に従軍した父から受け継いだ戦争の記憶を、「全て実際に起きたことである」と次世代に語り伝えるために製作した映画だ。公開に先立ち、「今戦争の記憶を語り継ぐ」と題した特別上映会・トークイベントが20日、東京都三鷹市の国際基督教大学(ICU)で開催された。
本作は、イタリアのアジアーゴ高原での戦いが舞台となっている。アルプス山中にあるこの高原は、オルミ監督がその美しい自然を愛し、長年住み続けている場所でもある。夏には緑が生い茂るが、冬には人を寄せつけないような白銀の世界が広がる場所だ。
第一次世界大戦末期の1917年、その極寒の雪山に掘られた塹壕の中で、いつ来るか分からないオーストリア軍の砲撃におびえながら、戦いの任務につく兵士たちがいた。死が確かに近づいているのを感じる彼らは、どう生きるかではなくどう死ぬかの選択を迫られる過酷な状況にあるが、それでもなお故郷に残した愛する人への思いを心の支えに、ただ静かに戦いの時を待っていた。
塹壕の隙間から見える外の景色は、雪が月明かりを反射して青白く輝き、幻想的で美しい。爆撃によって自然の一部は破壊されつつあるが、時が過ぎれば緑は必ずよみがえる。その時、人々が受けた戦争の傷跡は癒やされるのだろうか、兵士たちは遠く思われる未来に思いをはせる―。
第一世界大戦の開戦からちょうど100年目に当たる2014年、本国イタリアで公開された本作は、色あせつつある記憶をもう一度呼び起こす作品として話題を呼び、その完成披露試写会にはイタリア大統領も駆けつけた。また、オルミ監督の亡き父の実体験をもとにしていること、オルミ監督の息子ファビオが撮影を担当、娘エリザベッタもプロデューサーとして参加したことが、戦争を語り継ぐことの重要性を身をもって形にしていると注目され、多くの学校での上映会や、撮影に使われた塹壕の見学などが行われた。
日本で本作を配給するチャイルド・フィルムとムヴィオラは、今夏より実施される18歳選挙権や昨今のSEALDs(シールズ)の活動への注目を踏まえ、より多くの若い世代にオルミ監督のメッセージを伝えたいと、特別上映会をICU平和研究所と共催した。上映前には、第二次世界大戦の語り継ぎ活動をしている武蔵野市在住で82歳の高橋文雄さんが登壇し、原爆投下後の広島から戻った祖母から聞いた「ああ恐ろしい、だれがあんなことを。まるで屠殺場のようだった」という言葉を大学生たちに伝えた。上映後には、本作についての簡単な解説と大学生たちによる感想・意見交換が行われ、オルミ監督が何を伝えようとしているのか、考える時間を持った。
会場からは積極的に手が挙がり、「印象に残った場面はあったか?」という問いに対して、女子学生の一人は「『全ての死者を報告せよ。数ではなく、一人一人の名前を知らせよ』という大尉の言葉が心に残った。人間に一貫して感じられるのは個々であることの大切さなのだと思った」と涙ながらに答えた。男子学生の一人は、「砲撃を受けるシーンが無条件に怖かった。考えようと思ったが、ただ怖かったという印象しか残らなかった。頭ではなく感情で戦争の怖さを体験できたのがよかった」と感想を話した。大学生側からも「うさぎ、ねずみ、きつねなど多くの野生動物が登場するが、どういう意味があるのだろうか?」と質問も出され、活発な意見交換がなされた。
オルミ監督は、自らを「熱心なキリスト教徒」と呼ぶ。時には教会批判も辞さないが、その作品世界の根底には、彼の揺ぎない信仰心があると指摘する批評家は多い。本作中でも、死を覚悟して告解する兵士、神に祈っても答えは得られないと嘆く兵士、死者たちの墓に十字架を立てて永遠の安息を祈る兵士たちの姿が描かれ、戦争と神という普遍的なテーマをも見る者に思い起こさせる。
何より本作の中で、1人の若い中尉を通して語られる「一番難しいのは人を赦(ゆる)すことだが、人が人を赦せなければ人間とは何なのか」という言葉には、オルミ監督のキリストの平和への切なる祈りが強く表れているように感じる。
戦地におけるたった一晩の出来事を、さらに76分の映画に凝縮させていながら、現代を生きる人々に「本当の敵は誰か、真の平和とは何か」を問い掛ける本作品。ぜひ劇場で、兵士たちの口から出る言葉に耳を傾けてほしい。
映画「緑はよみがえる」は、23日(土)から岩波ホールほか全国で順次公開される。
■映画「緑はよみがえる」予告編