「序」
3. 惑わしの仕組み
(3)補完機能
イエスは、私たちが当たり前のように積み上げてきた「この世の心づかい」と「富の惑わし」という「経験」が御言葉をふさぐと言われた。「また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです」(マタイ13:22)。
私たちの「経験」が「○」という「神の言葉」に対し、それは「×」だとささやいてくるので御言葉がふさがれ、「神の言葉」が食べられない。その結果、甚大な被害が発生する。
今日、世界で起きているさまざまな争い、さまざまな不道徳、怒りや敵意、これら全ては「神の言葉」が食べられないことに起因する。しかし、「○」という「神の言葉」に対し、それを「×」だとするささやきは自らの「経験」から来るので、人は惑わされていることに全く気付かないのである。
これが、「惑わしの仕組み」の恐ろしさである。では、なぜ「経験」は「×」だとささやくのだろうか。そのからくりはどうなっているのだろう。
実は、人の脳には「補完機能」がある。「補完機能」とは、脳が積み上げてきた「経験」を使って、物事の意味を補完する働きである。脳は目や耳などから入ってくる情報に対し、積み上げてきた「経験」を使って、「それはこういう意味だよ」と理解を助ける働きをする。
これが脳の「補完機能」である。この機能こそ、「経験」がささやくからくりである。では、この機能を実際に体験してみよう。
下の図を見てほしい。左側の絵は平面に見えるだろう。しかし、それに幾つかの線を加えた右側の絵はどうだろうか。もう平面には見えなくなる。平面であった絵が、立体に見えるはずだ。これをしているのが、脳の「補完機能」である。
平面の図に線を少し加えただけで、平面が立体に見えてしまう。「○」が「×」になってしまうのである。それは、脳がこれまで積み上げてきた経験から、「この線の形なら立体だ」と意味を補完し、脳の中に立体を描かせるからだ。
ということは、こうした線の形が立体であることを経験していない人には、脳は立体を描けないことになる。実際、そうした経験をしたことのない幼子には、この図はただの平面にしか見えないという。これが、積み上げてきた経験を使って行われる脳の「補完機能」であり、人はこの機能に惑わされてしまう。
このように、脳の「補完機能」は、積み上げてきた「経験」を使って意味を補完してくるため、先に見た平面図のように人は惑わされても気付かない。これが、「神の言葉」という情報に対しても起きている。脳は積み上げてきた「経験」を使い、「神の言葉」の意味を補完してくるのである。
ならば、脳の「補完機能」が問題なのだろうか。これが人を惑わす張本人で、人に罪を犯させているのだろうか。そうではない。この機能は生きていく上でなくてはならないものであり、それがないと実際の生活はままならなくなる。
本当の問題は「補完機能」ではなく、「補完機能」で使われている「経験」にこそある。その「経験」が御心に反するものであったから、「神の言葉」が御心とは異なる意味に補完されてしまうのである。
考えてみてほしい。人の積み上げてきた「この世の心づかい」という経験を。それは、一見すると、人を愛する思いのようだが、実際は人から良く思われ、人から愛されようとする思いであり、「人を愛しなさい」という御心に反している。
「富の惑わし」という経験はどうだろう。それは、神ではなく富を信頼しようとする思いであり、これも「神を信頼せよ」という御心に反している。
だから当然、そうした「経験」は、「神の言葉」に対して間違った意味を補完してしまう。このことを図で説明しよう。下の図を見てほしい。左の図は平行線に見えるはずだ。ところが、それに斜め線を付け加えた右の図は、もう二度と平行線には見えなくなる。
この斜め線こそ、御心に反する「経験」に当たる。「神の言葉」である平行線に対し、御心に反する「経験」が斜め線となり、もう平行には見えなくさせてしまう。それにより、人は「神の言葉」が食べられなくなり、罪を犯してしまうのである。
例えば、神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と言われる。しかし、人から良く思われ愛されようとしてきた「この世の心づかい」という「経験」は、「自分が高価であるはずはない」と斜め線を入れてくる。「この世の心づかい」は、「行いを頑張らなければ愛されるはずはない」とささやいてくる。
すると、この「神の言葉」が食べられなくなり、パリサイ人のように律法の行いで神からの義を得ようとする。こうして、神の思いに逆らった生き方を目指すようになり、パリサイ人のように人をさばく罪を犯しても全く気付かなくなる。
これが「惑わしの仕組み」である。それは、見た目には脳による「補完機能」ではあるが、この仕組みを実際に牛耳っているのは御心に反する「経験」にほかならない。人の積み上げてきた「経験」が御心に反するものであったがために、脳は誤った意味を補完するのであって、「補完機能」が悪いわけでは決してない。
さて、こうした「惑わしの仕組み」が分かると、一つの疑問が湧いてくる。それは、神に似せて造られたはずの人が、一体どうして御心に反する「経験」を積み上げてきたのか、という疑問である。では、次にその疑問を解いてみよう。
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