あなたは高価で尊い。(イザヤ書43:4)
マザー・テレサはインドのコルカタ(旧カルカッタ)で「死を待つ人の家」を作りました。路上生活をしている人々が、誰にも看取られることなく、息を引き取り、まるで塵(ちり)のように扱われている様子にマザーは耐えられなかったのです。せめて息を引き取る瞬間だけでも大切な一人の人間として扱い、看取りたいという思いから生まれた行動でした。
マザー・テレサはカトリックの修道女ですが、看取りの瞬間は、相手がヒンズー教徒であれば、ヒンズーの祈りをささげ、イスラム教徒であればコーランを読んでいたといわれます。
ほとんどの方々が息を引き取る間際には、笑顔を見せ、感謝の言葉を口にし、お世話してくれるシスターたちに、「あなたがたに神の祝福があるように」と言っていたそうです。
マザー・テレサが日本を訪れたとき、一人の学生が質問していました。「まさに息を引き取ろうとする人に看取りのシスターたちは薬をあげています。手当てしたらまだ助かるかもしれない人に、この薬を回したほうがいいのではないですか」ということでした。「確かに効率とか経済性から見ると、薬をあげることは無駄かもしれません。人間らしく扱いたい、精いっぱいのことをしているという気持ちはこの薬で通じるのです」と答えていました。
私たちの人生は順調な時だけではありません。事業がうまくいかないこともあれば、株の投資によって財産を失うこともあります。事業が順調であれば、社会での存在意義を十分に感じることができるし、自信を持って生きていくことができます。「うまくいかなければ、社会から退場を迫られているように感じます」と言う経営者もいます。しかし、調子が良くても悪くても神の前の私たちの価値は変わらないのです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43:4)[注・「わたし」は神様を指しています]
ある町で一人の経営者が事業に失敗してしまいました。この方は町をさまよい、気が付いたら川べりに来ていました。いよいよ川に飛び込んで、最期を迎えないといけないかと思ったとき、近くの集会所から賛美歌が聞こえてきました。その賛美歌に引き付けられるように集会に参加していました。その時、聞いた聖書の言葉が、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)でした。
この方はキリスト教の信仰を持ち、事業所に帰り、債権者たちと真摯(しんし)に話し合い、負債を半分にしてもらうことができ、少しずつ返済し、立て直したということでした。
最近では、取引先が破綻したとき、取引業者を保護する保険が商工会議所にできていますし、従業員の賃金を保証する雇用保険もありますが、事業者が夜逃げしたときは適用されないそうです。どんな針の筵(むしろ)であっても最後まで留まり、責任を果たさなければいけないと思います。
私の知り合いの牧師(アメリカ)がSNSに投稿していた言葉が心に響きましたので引用します。
”Pray when you feel like worries. Give thanks when you feel like complaining. Keep going when you feel like quitting.”「心配の感情があったら、祈りなさい。不平を言いたくなったら、感謝しなさい。辞めたくなったら、続けなさい」
「あなたは価値がある」と神様が宣言してくださっています。自分の評価を自分で下げ、悲観的になることは、神様の宣言を無視することになります。どんな時にも委ねることを学ばなければならないと思います。
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穂森幸一(ほもり・こういち)
1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。