1. この町も、あなたがいた町と同じです
西部開拓時代のアメリカでのエピソードです。当時、多くの人が、東部から西部の町に移住していました。
西部のある町の入り口に、町の長老が立っていました。東部から移動してきた人たちがその町に入るとき、まずその長老に出会います。
人々は、長老に「この町の人たちって、どんな人ですか」と熱心に聞きます。
長老は、質問に答える代わりに、「あなたが以前、住んでいた町の人たちは、どんな人でしたか」と質問しました。
Aさんは、こう答えました。「私の住んでいた町は、最悪でしたよ。みんな陰口を言ったり、罪のない人を利用したり。オワッてますよ。泥棒とうそつきばっかりでした」
それに対して長老は、言いました。「この町も、あなたがいた町と同じです」と。
同じ町に、Bさんがやってきました。そして、長老に前の人と同じように「この町って、どんな町ですか」と聞きました。
長老は、また「あなたが以前、住んでいた町の人たちは、どんな人でしたか」と質問しました。
Bさんは、「あの町は、いい町でした。友達もたくさんできて、困ったときは町の仲間と助け合いました」と答えました。
長老は、先ほどと同じこと言いました。「この町も、あなたがいた町と同じです」と。
2. 私たちは、過去のフィルターを通して現在を見る
このエピソードは、自分の過去の人間関係をどのように見るかが、将来の人間関係の見方を決定するということを表しています。
現代の私たちにとっては、会社やサークルなどが、「町」に当たります。例えば、前の会社の人間関係からどのように去ったかが、これから入ろうとする新しい会社での人間関係を決めてしまいます。
また、「町」は、彼氏・彼女、夫や妻を象徴しているともいえます。心に恨みと苦々しい思いを持ったまま、元カレと別れたなら、新しい彼氏との関係を、元カレへの恨みというフィルターを通して見てしまうのです。
聖書には
「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」
とあります。
他人を批判したつもりが、その批判は結局、自分に返ってくるということです。台風の中で相手に唾を吐くと、自分の顔に「びちゃっ」とかかるイメージです。
私たちは、上司に恵まれないときや伴侶に傷つけられたとき、「なんで俺だけが、こんな目に遭うの?」と思います。
そして、相手に対する恨みの気持ちが残ってしまいます。あげくの果てに、「こんな会社は、ダメだ」とか、「レベルの低い男しか、私の周りにいない」と、周りに批判的になります。
3. 神様からの課題
しかし、私たちは誰でも、他人の批判をしたり他人を責めたりすることにより、自分自身の役割や性格の欠点に盲目になってしまう者です。
「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりくずに気が付くが、自分の目の中の材木片には気が付かないのですか」
実は、批判的な生き方を変えること、怒りの気持ちを整理して自分を傷つけた人をゆるすことが、神様から私たちへの「宿題」です。
もちろん、つらい職場や夫婦関係から一時的に逃げ出すのも、ありです。しかし、前の人との気持ちを整理しないと、いくら新しい職場に行っても結局、上手くいかなくなります。
職場を変えても彼氏を変えても、自分の気持ちを整理しない限り、神様の宿題は、私たちの前から消えないのです。
どうせ宿題が消えないなら、いっそのこと神様の宿題をクリアしてから、次の会社や次の彼氏に移ってしまったほうが、楽ですよね。
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関智征(せきともゆき)
ブランドニューライフ牧師。東京大学法学部卒業、聖学院大学博士後期課程修了、博士(学術)。専門は、キリスト教学、死生学。論文に『パウロの「信仰義認論」再考ー「パウロ研究の新しい視点」との対話をとおしてー』など多数。