戦責問題におけるタブー
日本の社会は一般に、戦争責任を論じるとき、日本の責任は論じるが、連合国の責任は論じない傾向がある。まあ、それは戦勝国に対して失礼ということでもあろう。
何しろ勝てば官軍なのである。何と言っても英米が正しいのである。こちらは無条件降伏したので、敗者がグダグダ言うのは男らしくない。
そこで勝者の出す条件はのみ、その後で過去は水に流し、忘れて前進するのだ。日本人はそう考える。
極東国際軍事裁判
1946(昭和21)年に始まった極東国際軍事裁判(略称・東京裁判)において、日本の「平和に対する侵略戦争」と「残虐行為」が裁かれ、東條英機など7名がA級戦犯として絞首刑に処せられた。
東京裁判の認識によれば、太平洋戦争は日本の侵略的性格と領土欲から起こったのである。また、その遂行において日本は残虐行為を行い、その責任を問われて、多数の戦争犯罪人が有罪とされ、刑に服した。
こうして太平洋戦争の全ての責任は日本にあるという認識で、この戦争の決着が付けられた。
1951(昭和26)年にサンフランシスコ平和条約が締結され、日本は国家主権の回復を得、連合国による軍事占領は終了し、日本は独立国として国際社会に再び仲間入りを許された。
この平和条約で日本は、東京裁判の認識を全面的に受け入れ、それに基づいて条約に署名したのであり、世界に対して太平洋戦争の責任は日本にあること、日本国はそのことを痛悔(つうかい)し、二度とそのような犯罪行為を犯さないと約束した。
そこで、現在まで日本政府は、これを公式の立場として取ってきているが、サンフランシスコ条約の署名者としては、これは当然のことである。
日本は平和に対する侵略の張本人であったとするこの見解は、公式のものであり、日本の義務教育の教科書も全てその線に沿って書かれているが、それは当然のことである。
アジア(と言っても、主として中国と韓国のことだが)は、日本が過去を忘れて前進しようとするのはとんでもないことだとする。日本は侵略の前非を悔い、悔い改め続けるのだと主張する。
そうして日本の良識人と呼ばれる人は、日本の過去を中国や韓国の視点から「正しく」認識することが、日本のあるべき姿であるとする。
一例を挙げれば、田中直毅は自民党内の保守勢力のことを、「かつての国家主義者が、何ものも学ばず、何ものも忘れずというかたちで参加して・・・」というように表現している(田中直毅『日本政治の構想』日本経済新聞社)。文脈から見ると、「学ばず」とは過去の敗戦から学ばないということで、「忘れず」というのは日本の戦前的な体質を捨てていないということを意味している。
これは、戦後の日本の政治を論じた優れた著作であるが、戦後の日本の知識人の一人として、日本だけが醜悪な悪者であるという公式の認識を全て受け入れて論じている。
繰り返すようであるが、この認識は、日本が世界に対して表明したものであり、国際的な関係もこの基本に従って行われてきているのである。
中韓両国は事あるごとに、日本に対して正しい歴史認識を徹底せよと要求するが、それは両国にとってサンフランシスコ平和条約の線を日本が固持するかどうかの問題なのである。日本がそれから外れていかないように警戒し、強力にその忠実な履行を求めているのである。
もし、日本がこの表明を破棄することにでもなれば、東北アジア三国の外交関係が変化してしまうと考えられる。
現在のこれら三国の外交関係の基礎にあるものは、日本が有罪国であり、連合国によって懲罰を受けた敗戦国であるということ。さらに中韓の二国は被害国であり、日本に対しては戦勝国である、という二つの事柄である。もしこの構図が崩れると、外交上に中韓の両国が日本に対して持っている優位性が崩れることとなる。
この優位性は形式上のことであり、ほとんど虚構に近いものであるが、それだけに両国はこれを死守しようとして懸命である。日本政府が、今後はこの認識を取らないなどと表明することも不可能ではないだろう。一国の歴史をどう理解し認識するかは、最終的にはその国の権利だからである。
しかし、現実には、日本は戦後の半世紀以上この認識を持って外交の原則としてきた。また、教育については、律義に東京裁判の基本理念に従うことを原則としてきたのである。従って国民の大部分はこの認識を受け入れており、これが覆るなどということはないであろう。
そこで中韓両国が神経を尖らせているものとして、日本の首相の靖国神社参拝問題や歴史教科書問題がある。これらは中韓両国から見れば、単に日本の国内問題ではない。これらを見過ごせば、東京裁判の基本理念のなし崩し的な否定が起こるのではないかという懸念があり、それが中韓の警戒感の原因である。
小泉純一郎首相は、一国の戦没者の慰霊の仕方について、他国からとやかく言われることはないという趣旨の答弁を国会でした。これは、言葉の表面だけ取って見れば正論である。
それに対して、中国政府の側では「内政干渉をするつもりはない。しかし、これはすでに国際問題である」という強硬な姿勢を見せている。この言明には、日本が侵略者であり、敗戦国であるということを忘れては困る、そういう中国側の懸念と焦りが見られる。
すなわち、これが首相個人の信仰の自由や、礼拝の自由の問題ではなく、それらを超えている、すでに国際問題であるという主張の影には、そのような事情がある。
以上、見て来たように、戦後の日本にはこのような自己規定があり、外交もまた国民の意識もこの線に沿っている。朝日新聞をはじめとして全国の有力紙も全てこの線を堅持している。
では、このような自己規定に対して、日本のキリスト教界はどのような態度を取っているのだろうか。
日本のキリスト教界のこれらに対する態度とは、何らの疑問も差し挟まず東京裁判の基本理念をナイーブに、ただただ無批判に受け入れてきたということである。
そうしてさらに進んで、戦争責任、天皇制、神道イデオロギーの三つについて、これらは同根であると考え、日本が真に神に祝福されるためには、これらの三つが徹底的に駆逐(くちく)されねばならないと考える。
そうしてそのために日本のクリスチャンは、日本社会に悔い改めを迫り、日本が封建的な体質を改変するように働き掛けるべきである、とされている。それこそ日本のキリスト教会の証しであり、大切な義務であるとしている。また、この証しにより、古い日本的な体質が社会から一掃されたときに初めて日本伝道は進み始め、教勢も拡大すると考えられている。
さて、このような思考について、これをあらためて検証し、批判的な分析を加えることは、今まで誰もやってこなかったように思われる。
これはいわば金科玉条であり、誰もこれを犯したり、疑問を差し挟んだりできないものと考えてきたようである。個人的には何かおかしいと思っている人がいるかもしれないが、公式に発表され、または印刷されたものに限って言えば、ほぼキリスト教会の全てがこの線に沿って発言していると言っても過言ではない。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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後藤牧人(ごとう・まきと)
1933年、東京生まれ。井深記念塾ユーアイチャペル説教者を経て、町田ゴスペル・チャペル牧師。日本キリスト神学校卒、青山学院大学・神学修士(旧約学)、米フィラデルフィア・ウェストミンスター神学校ThM(新約学)。町田聖書キリスト教会牧師、アジアキリスト教コミュニケーション大学院(シンガポール)教授、聖光学院高等学校校長(福島県、キリスト教主義私立高校)などを経て現職。