日本の宣教を考えるに当たって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。
この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障碍(しょうがい)を形成している、というものである。
そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて、日本の祝福が始まるとされている。
こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは、日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから、日本宣教のメッセージは、その中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。
果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。検証といっても別に大げさなものでなくてもよいので、これら三つに関わる歴史を復習するのである。つまり、日本がその時々に置かれていた歴史的環境を観察するのである。
筆者は日本歴史が専門ではない。そんな者が歴史を論じるというのはおこがましいかもしれない。それで、せいぜい幾つかの事実関係を並べるくらいにしたい。
なぜ歴史を見る必要があるのか。その理由は、太平洋戦争、天皇制、国家神道という三つの事柄は真空の中で起こったのではないからである。当然それぞれが歴史の状況の中で起こったのである。そうして何を論じるに当たっても、それらの歴史的状況を把握しておく必要があるのは言うまでもないことである。歴史の復習とは言ったが、現代の日本人は歴史について無知なことが多い。ここに簡単な歴史の記述を述べるのだが、それらに通じている人は少ないといえよう。
だいたい歴史の無知に基づいた、見当はずれの日本評価が大手を振って通用しているのが現状である。正確な歴史把握がないままになっている。それらが日本宣教を阻害している面が少なくないといえよう。
この文章を読んでくださる方には失礼かもしれないが、この中で日本とその周辺の歴史について読んで、ほとんどの方が驚きと発見の連続を経験されるのではないかと思うのである。
実は戦争責任、天皇制、神道の三つを論じることは、日本を論じるにとどまらないのである。それらはさらに進んで「伝統的なキリスト教」そのものを論じる。そういう方向につながっていくのである。
すなわち、日本の近代の歴史を知ることは、日本を知ることにとどまらず、同時に近代における欧米キリスト教国のアジアにおける行動のパターンを観察することにつながる。それは必然的に、従来のキリスト教社会の価値観とそのエートス(特性)を再検討することになるのである。
それをすることによって、われわれは近代の西欧キリスト教が内包する大きな欠陥、つまりキリスト教倫理の問題に直面する。すなわち、欧米のキリスト教は伝統的にその神学思想自体の中に重大な欠陥を含んでいるのであって、宣教学的な見地から歴史を見るとき、その欠陥を発見せざるを得ないのである。
実は、そのような検証こそが日本宣教学にとって重要である。それなしに日本の戦争責任を論じても、空虚である。宣教学的に見ても価値が少ない。そうしてそのような空虚な論が多く行われているのが、日本のキリスト教界の現実である。
これら三つは、善かれあしかれ、日本という国家の体質を表現しており、それ故に再検討がどうしても必要である。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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後藤牧人(ごとう・まきと)
1933年、東京生まれ。井深記念塾ユーアイチャペル説教者を経て、町田ゴスペル・チャペル牧師。日本キリスト神学校卒、青山学院大学・神学修士(旧約学)、米フィラデルフィア・ウェストミンスター神学校ThM(新約学)。町田聖書キリスト教会牧師、アジアキリスト教コミュニケーション大学院(シンガポール)教授、聖光学院高等学校校長(福島県、キリスト教主義私立高校)などを経て現職。