来年のチェルノブイリ原発事故30周年を前に、今年のノーベル文学賞を受賞した著者による本書は、この事故の被災者たちの衝撃や悲しみ、思索を描き出したインタビュー集として評価され、現在もアマゾン・ジャパンで外国文学作品のベストセラー1位となっている。
ドキュメンタリー証言集として知られ、そこで語られたことが中心となっている本書だが、しかしあえて角度を変えて、その中にあるキリスト教信仰に着目して読んでみることもできる。ワレンチナ・チモフェエブナ・パナセビッチさんは、本書にある「孤独な人間の声」というインタビュー文の中で、「よく教会に行ったわ」「神さまに名前をいってください」などと語った上で、「私は、自分のチェルノブイリの祈りを小さな声で唱えながら」原発事故で亡くなった夫を息子と一緒に待つと述べている。おそらくその祈りが、本書の題名になったのだろう。
他にも、本書に出てくる被災者たちの多く―全員ではないにせよ―は、その衝撃や悲しみの中で神を求め、そのキリスト教信仰が断片的ながら本書の所々に表れている。「神さまは長生きさせてくださったが、幸せはくださらなかった」「老婆が教会でお祈りをしている。『私たちのすべての罪を許したまえ』。だが、学者も技師も軍人もだれひとりとして自分の罪を認めようとはしません・・・主よ、我を汝の道に呼び返したまえ!」「この子が死ぬのはいや。・・・ああ、神さま・・・」「永遠の命について語ってくれ、人のなぐさめとなるのは教会だけ」「自分の家屋敷に立ち寄っちゃだめだと警察がいったんですよ。だから・・・家に向かって十字をきりました」等々。それらは、放射能汚染という現実の中で、何を意味するのだろうか?
2011年4月26日には、チェルノブイリにあるウクライナ正教会(モスクワ総主教庁)の聖イリヤ教会でキリル総主教らによって復活大祭(パスハ)が行われた。チェルノブイリ原発事故から30周年を迎える来年の4月26日も、この教会はその週末の5月1日に復活大祭を迎える。また、本書の著者は来年春に福島を訪問する意向を示したと報じられている。福島第一原発事故の影響や原発輸出・再稼働の動きとともに、来年4月に電力自由化が始まる。そんな来年を展望するに当たって、著者が“未来の物語”と呼ぶ本書を今あらためて読んでみるとき、そこから何を読み取ることができるだろうか? そして、私たちの祈りがあるとしたら、それは何だろうか?
スベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り 未来の物語』岩波書店、1998年(再版は2011年)、定価1040円(税別)