アイヌ民族の歌人バチラー八重子(1884~1962)がアイヌ語で歌った賛美歌の録音音声が15日、室蘭市のカトリック東室蘭教会で開かれた同教会主催の講演会「アイヌ語の賛美歌があった」の中で公開された。公開された八重子の独唱は賛美歌の「主われを愛す」「蛍の光」で、1961年ごろ、伊達町(現在の伊達市)にあった八重子の自宅で録音されたものだという。室蘭新聞が伝えた。
アイヌの歌人・キリスト教伝道者として知られるバチラー八重子は、北海道伊達町有珠(現・伊達市)のアイヌの豪族である父・向井富蔵と母・フッチセの間に生まれた。8歳の時に、「アイヌの父」と呼ばれた英国聖公会の宣教師ジョン・バチラー(1854~1944年)から受洗を受けている。バチラーは1877年に来日し、アイヌ民族の人権向上のために64年間、伝道・教育・医療などに献身した人物で、後に八重子はバチラーの養女となっている。
八重子が、バチラーとその妻ルイザの養女となったのは22歳の時で、養子縁組の契約書には、「向井フチハ養父ジョン・バチラー、養母ルイザ・バチラーノ精神ヲ承継シテ同胞ヲ救ハン事ヲ生涯ノ勤メト為シ且ツ之ヲ永遠ニ伝フル事」とあり、その後の八重子の生涯はその契約書通りで、養父と共に、平取や幌別の聖公会や樺太などで布教活動を続け、家では、英語、アイヌ語そして日本語をうまく使い分けて訪問客やルイザ夫人の通訳などをしながらアイヌ人伝道に励んだ。
八重子は31年4月にアイヌ語で歌った歌集『若きウタリ(アイヌ語で「同族」の意)』を発表している。この歌集はアイヌ人伝道の中で、同族であるアイヌの人々について詠んだもので、アイヌ語研究の第一人者である金田一京助の目に偶然留まり出版された。この歌集がきっかけとなり、八重子は歌人として知られるようになった。
今回公開された八重子がアイヌ語で歌う賛美歌は、養父バチラーと、アイヌ民族として民族の教育に力を注いだ金成(かんなり)太郎(1860~95年)が、聖書のアイヌ語翻訳に取り組む中で作ったもの。太郎は、幌別のアイヌの長老の家で生まれ、バチラーにアイヌ語を教えていく中でキリスト教を信じ、バチラーからアイヌで最初にプロテスタントの洗礼を受け、アイヌの伝道者となった人物だ。
八重子や太郎をはじめ、アイヌの中に多数のキリスト教信者を育てたバチラーは、太平洋戦争の最中、敵性外国人として強制帰国させられ、44年に英国で死去した。養父を亡くした八重子はその後、37年に多くの信者らの協力によって建てられたバチラー夫妻記念教会堂(北海道伊達市向有珠町)の傍らにある自宅で、バチラーの残していった愛読書250冊と遺品を守りながら一人で静かに暮らしていたが、62年、旅行先の京都で急逝した。77歳だった。
バチラー記念堂は、丸い窓と白い十字架が目を引く、石造りのモダンな教会堂だ。老朽化した記念堂の修復工事が2000年に行われ、現在は、2階にバチラーの遺品を展示するコーナーが設けられている。