アフリカのキリスト教は幾何級数的な成長の持続による恩恵を受け、その信者の数は1900年に約1000万人であったのが、2015年には50倍増の5億人を超えるようになった。しかし、この大陸でキリスト教の実践と教えが持つ多様性は、それを単数形のキリスト教(Christianity)というよりは、むしろ複数形のキリスト教(Christianities)と見なすほうがより正確かもしれないことを意味している。それが、10月第4週にロンドンのランベス宮殿で行われた宣教神学セミナーでのメッセージであった。ケニアのリムルにある聖パウロ大学副総長のジョセフ・ガルガロ教授によるこの講演は、アングリカン・コミュニオン(全世界聖公会)によって企画された一連のセミナーの最初をなすものであった。
ガルガロ教授は、「アフリカ教会の成長はあらゆる教派に及んでいる。ケニアでは2009年の国勢調査によると、3841万2099人の国民のうち3187万7734人(約83パーセント)が自らを(カトリック、プロテスタントないし他の教派の)クリスチャンだと見なした。これは1999年と比べて約9パーセントもクリスチャン人口が増大したことを示している」
「私たちはこの驚くべき発展を認知しつつも、一つ共通の批判として受け止めるのは、この印象的な量的成長が、同じく印象的な質的成長に常に見合ったものでないということだ。例えば、エリヤ・キム博士(Elijah Kim、The Rise of the Global South: The Decline of Western Christendom and the Rise of Majority World Christianity, Wipf & Stock Pub; 2012の著者)は、『キリスト教信仰の重心が西洋から非西洋へと移り、そこには世界のキリスト教徒の大多数が今や暮らしている』とはいえ、『・・・(これらの)量的変化は必ずしも質的変化が起きたことを意味しない』と述べている」
ガルガロ教授は、アフリカの教会が直面する大きな問題は「名ばかりのキリスト教」だと指摘した。
「日曜礼拝は何千人ものクリスチャンを惹き付けており、教会はいつもいっぱいだが、一方で礼拝にほとんど出席しないクリスチャンの数も増えている。ACM-FTT Afriserveが2004年に行った調査では、『プロテスタントがケニアのクリスチャンの65パーセントを名目上は占める一方で、日曜日にプロテスタントの礼拝に出席しているのは人口のわずか7パーセントだけである』と報告されている」
「報告の中では、ケニアの24歳以下の人々について、幼児洗礼は受けていても、おおむね教会には属していないとも指摘されている。名ばかりのキリスト教は、アフリカのクリスチャンたちが習合主義を実践している主な原因なのだと私は主張したい。例えば、魔術や魔法、妖術、そして血のいけにえのようなアフリカの伝統的な信仰は、自らをクリスチャンだと見なすも名ばかりで、教義に対して意味のある忠実さを全く示すことなく、社交的なキリスト教に参加して喜んでいる会員たちによくあるものだ」
「伝統的な狂信者の多くは、たとえ片手に聖書を持ち歩き、もう片方で伝統的な信仰や慣習を手にしていても、後ろめたいとも思わない。私たちのキリスト教の歴史はある時点で、クリスチャンであることが立派な社会的地位や階級と密接に結びついてしまったのだ。これにより、社会的地位を理由に教会に属することはあり得ても、真剣に献身することがないという人々が増えている」
「今日、私たちの中には、自らを聖公会やメソジスト、長老派、カトリック、あるいはその他何らかの既存の教派と自らを誇らしげに同一視しつつも、最近いつ教会に行ったのかも分からず、教会に行く理由も、そうすることが社会的な便益である場合を除けば、全く分からない人たちが多い」
10月初旬に、アングリカン・コミュニオンで最初の宣教神学者に任命されたグラハム・キングス司祭・博士はこの講演について意見を述べ、こう語った。
「私はこのセミナーにとても勇気付けられた。幅広い背景を持つ約40人の神学者たちが、ガルガロ教授の学識の深い講演を聞いて、それに想像を使って参加した。この会話はオンラインで続いており、『アングリカン・コミュニオン神学者データベース』にある神学者たちもこの対話に参加するよう望む」