埼玉県入間市の日本基督教団武蔵豊岡教会で7日、「入間市の文化遺産をいかす会」主催の講演会「ヴォーリズが思った教会にふさわしい意匠とは何か?」が行われた。講師には一粒社ヴォーリズ建築事務所顧問の片桐郁夫氏が招かれ、ヴォーリズの生涯とビジョン、また彼の作品の一つである武蔵豊岡教会の歴史について語った。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは米国出身の建築家。今回の会場になった武蔵豊岡教会をはじめ、国内で約1600もの建築を手掛けた。また「メンソレータム」を日本に普及させた実業家としての側面や、同志社大学の校歌や教会の賛美歌など数多くの作詞作曲も手掛けるなど、その多彩な才能で活躍した。そんな彼は、生涯にわたって私有財産を持たず「全ては神のもの」として、神が示す場所に赴いたといわれている。
ヴォーリズのモットーとして、「必要が前進の母」という言葉が残っていると片桐氏。多くの建築家は自分の得意分野を持っており、その分野の案件を多く手掛けることが多いが、ヴォーリズは必要に応じて個人宅から教会や病院、学校、オフィスや工場まで数多くを手掛けたという。
彼の自伝には、「建築の風格は人間の人格と同じく、その外見よりもむしろ内容」とした、ヴォーリズが持っていた住宅設計の理想などが数多く残っている。外装よりも、台所や食堂、子どもと過ごす部屋などの内装を、まず使いやすさを重視して設計したと伝えられている。一方、教会のことについて書物ではあまり触れられていないという。
しかし、ヴォーリズは礼拝堂のみしか建てない当時の教会建築と宣教師を、「非合理極まりない」と批判。予算の範囲で伝道のために必要な部屋を必ず設計したと伝えられている。また装飾なども複雑なものではなく、落ち着きをイメージさせるゴシック様式やロマネスク様式を好んで用いたという。
武蔵豊岡教会を手掛けた際は、現場の宮大工の技術やデザイン、クライアントの要望を取り入れており、ヴォーリズの思想と日本の建築様式との融合も、内装やデザインスケッチの随所に見られる。さらに機能面では音響なども視野に設計されており、現役で使われ続ける「生きた文化財」というのが、ヴォーリズ建築の特徴だという。
武蔵豊岡教会は今年で126周年を迎える。石川和助という青年が上京し、「自分が知った福音という最高の知らせを郷里に伝えよう」と伝道し始めたのがきっかけだ。和助青年は両親から勘当されるも信仰を捨てずに行動し続けた。そして1889年7月2日、その地で初めてある人が洗礼を受けた時を、この教会の起源としている。なんとこの最初の一人とは、和助青年を勘当した張本人、父の金右衛門だった。やがて家族や親戚も救われ、和助青年は後に牧師となった。
その後、同教会は工場伝道や家庭集会を中心に成長し、1923年にヴォーリズの設計で会堂が建設された。
第二次大戦後は、地元地域への伝道のほか、米軍基地の将兵や基地で働く人々への伝道も積極的に行ってきた。そして近年立ち上がった入間市駅の北口再開発計画をきっかけに精密検査を実施。建物の老朽化のため補修や耐震工事が必要だと分かり、大改修し現在に至る。
今回の講演について武蔵豊岡教会の栗原清牧師は、「この教会は入間市にとっても歴史の深い建物。また改修したことによって新たな方も足を運んでいただけるようになりました。そうやって集まった方々のふれあいの場となり、ひいては神様との信頼関係を築く場になれば」と語った。