キリスト教のユース・リーダーは、青年たちが論理的に自身の信仰を守れるように、彼らにキリスト教弁証学の基本を教える必要があると、スチューデント・パスター(学生に宣教の焦点を当てた牧師)で作家のベンジャー・マクベイ氏は述べている。
マクベイ氏は、青年を担当する牧師や伝道師は、たとえ哲学や弁証学の教育を受けていなくとも、若者からの信仰の妥当性についての質問に答えることができるようにしておく必要があると指摘する。もしそうしなければ、世間で一般的に常識とされているさまざまな情報の中に生きる彼らが、イエスへの信仰を正当化して生きていくは難しいと言う。
「イエスへの信仰は盲目の信仰ではなく、道理にかなわないことではないばかりか、むしろ証拠への論理的な応答であることを、10代の子どもたちが理解できるよう助けることは、ユース伝道に携わる人たちが、10代の子どもたちを育てるための有意義な方法だと信じています。証拠が、聖書の神が存在すること、イエスが本当に聖書が主張している通りの人物だという事実を後押しします」。マクベイ氏は「Church Leaders」のブログの記事にこう書きつづっている。
キリスト教弁証学研究ミニストリーによると、弁証学とは「キリスト教の信仰において、合理的な防衛を与えるキリスト教神学の一つ」。言い換えれば、つまりそれは異端の意見や異議に対抗して、キリスト教の信仰を守るという考え方である。
弁証学は、時に複雑な神学のトピックを掘り下げ、徹底的に追及するが、マクベイ氏は、10代の青年たちはこのような教えを学ぶことに抵抗がないと主張する。
マクベイ氏の経験では、10代がよく尋ねる質問の一つに、全ての宗教は結局は同じ神につながっているのかどうかというものがある。一般社会には、どんな宗教を信じてもよい、なぜなら宗教は最終的に同じところへ至るか、それらは全て同じで、唯一の違いはそれぞれの宗教で神を何という名で呼ぶかだ、といった考えがあるとマクベイ氏は説明する。
しかし、マクベイ氏は、全ての宗教が天国へ導くことができるわけではないこと、また聖書の土台という論点をもって、こうした考えは反論されるべきだと強調する。
10代が学びたいと熱望するトピックに「科学とキリスト教」がある。
「多くの学生が、科学とキリスト教は本質的に互いに対立するものだと簡単に結論付けてしまいます」とマクベイ氏。「創造者である神の最も素晴らしい証拠の一部は、科学から直接来ているということを、学生たちは理解することが重要です」と言う。
またマクベイ氏は、青年たちが聖書の教えに疑問を持つ傾向にあることから、青年担当者は、聖書は根拠がしっかりしているものであるということを、彼らに教えていくことに焦点を当てるべきだと述べている。
「もしも、『だって聖書に書いてあるから』という理由以外で、聖書はどこから来て、なぜ私たちはそれを信頼することができるのかということについて、あなたが説明できないとしたら、それは循環論法になってしまいます。そうなれば学生たちは、自分で御言葉について調べることはしなくなるでしょう」と彼は説明する。
またマクベイ氏は、悪がなぜこの世に存在するかについて、青年は興味を持っていると指摘する。十代の若者たちは、時にその若さや人生経験の少なさから過小評価されてしまうことがある一方、彼らはしばしばメディアや文化のトピックとは関係なく、彼らが実際に彼らの人生の中で経験した悪についての質問をする。
「これは多くの10代にとって、ただの知性に訴える関心事には終わりません。彼らにはこの質問に対する良い答えが必要なのです。なぜなら彼らは傷つけられ、虐待され、愛する人を失くすなど、あまりにも多くの悪に直面してきたのですから」「この質問は、これまでで最も難しい質問であり、恐らくあなたが仕える青年たちの心に最も近い質問のうちの一つでしょう」
しかし、マクベイ氏も、時にはどのように説明したらよいか分からないこともあると認める。
「青年たちの信仰に関する質問全てに解答するのは難しく、本当に分からないときは、『分からない』と言うことは正直で立派な答えです。しかし、彼らは時に非常に賢く、仮にあなたが、青年伝道の中でよく出てくる弁証学的質問に対処することができないことが続く場合、ここにはよい反応がないと思ってしまうかもしれません」