まさにそのとおりでした
使徒の働き28章23節~28節
[1]序
前回は、使徒の働き28章23~25節前半を通し、パウロがローマで福音宣教に専念している姿を見、他のいずれの場所の場合と同様、同じ福音を同じ態度で宣べ伝えている事実を確認しました。その結果はどうかと言えば、他のいかなる場所と同じく、ある人々は信じ、ある人々は信じようとしなかったのです。
そして25節前半には、信じた人々と信じようとしなかった人々は、「お互いの意見が一致せずに帰りかけた」とあります。このような事態を目撃して、パウロはイザヤ書6章9、10節を引用して、「ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう」(28節)と語ったのです。パウロのロ-マでの経験は、それまでの様々の場所でパウロが経験して来たことと同じであるばかりでなく、預言者イザヤが経験したことと同じであると悟ったのです。預言者イザヤは紀元前740年の少し前預言者としての使命を受け、60年の年月を預言者として生かされ、その生涯に渡りイザヤ書に見るメッセージを伝える使命を与えられた人物です。イザヤ書6章9、10節は、イザヤの生涯とイザヤ書全体にとって基盤となる出発点です。
[2]預言者イザヤを通して
イザヤの生涯全体、またイザヤ書全体の流れを通して、イザヤ6章9、10節の意味を見て行きます。
(1)イザヤの召命の時点で
イザヤ6章1節、「ウジヤ王が死んだ年」(紀元前740年)。青年イザヤは、この年の少し前すでに預言者として召命を受け、それなりに活動をしていたと考えられます。
しかしウジヤ王の死んだ年、特別な経験、言わば再召命と呼ばれる経験をなしたのです。イザヤ6章1~5節までは、イザヤが厳粛な罪の自覚をした経験を記録している箇所です。イザヤは祖国ユダの罪を見抜き、これを指摘し、さばきと悔い改めを訴える預言者です。しかし今や、他の人々ではなく、「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者」と深い自覚を与えられるのです。
この「もうだめだ」との自覚の中で、イザヤ6章6、7節に見る驚くべき罪の救しのメッセージを聞き経験したのです。これはイザヤの経験ばかりでなく、ダマスコ途上でのパウロの経験でもありました。
このような罪の救しを経験する中で、イザヤは、8節に見る主なる神の召命を聞き、「ここに、私がおります。私を遣わしてください」と、応答して身を献げる決心をします。このようなイザヤに対して、イザヤ6章9、10節に見ることばが語られたのです。深い罪の自覚を経験し、主なる神からの呼び掛けに応答し、再び思いを新たにして預言者として民に語るべく決心したイザヤ。彼が語るべき事柄、経験すべき現実は、ユダの民が主の語られるメッセージに聞こうとしない一事です。宣教を拒絶され続ける痛ましい現実の中で、なお主なる神からのメッセージを宣べ伝え続ける。これがイザヤに与えられた使命です。
(2)イザヤの生涯を通して
イザヤは、この再召命の際に聞いた主なる神のことばを彼の生涯に渡り経験し続けたのです。そのイザヤが生涯を通し語り続けたメッセージがイザヤ書の内容です。
イザヤ全体は、ユダの民がいかに主なる神の声を拒絶したかを示し、その現実の中でイザヤが主なる神から教えられ、そして民に語った救いのメッセージを伝えています。パウロは、イザヤの六十年に及ぶ生涯の経験を、自分自身も経験していると見抜いていたのです。イザヤ6章9、10節の「心をかたくなにするメッセージ」は、パウロの生涯においても同じく現実なのです。パウロのダマスコ途上での経験は、起源33年の頃と考えられます。そして今起源61年頃のローマ。パウロの回心から三十年の年月が経過しています。ダマスコから始まり、コリントでも、エペソでも、エルサレムでも、そしてローマでも。いずれの場所でも、パウロは同じ福音を同じ態度で語り続けて来たのです。ある人々は信じ、ある人々は信じようとしない同じ結果に直面しています。これは三十年に及ぶパウロ自身の生涯における経験ばかりでない。あのイザヤの六十年に及ぶ生涯においても現実だったのです。パウロは自分の三十年に及ぶ経験を振り返り、さらにイザヤの生涯を思い浮かべつつ、民の拒絶とその現実の中になお福音を宣べ伝えてやまない主なる神の恵みに触れて、「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語られたことは、まさにそのとおりでした」と思いを込めて語るのです。
[3]イザヤ6章9、10節の新約聖書における他の引用
(1)イザヤ6章9、10節は、主イエスが有名な「種蒔き」のたとえを語られた際に引用なさっています(マタイ13章14、15節)。主イエスがたとえを通して語っても、民は拒絶しました。たとえで語られても拒絶する民の心のかたくなさを示すため、イザヤ6章9、10節が引用されています。
(2)ヨハネ12章40節
ヨハネ12章40節では、主イエスの地上でのご生涯の最後の数日の事柄を記録している中で、イザヤ6章10節を引用し、人々が主イエスの奇跡を目撃しながらも信じない事実を説明しています。
主イエスのたとえは、とても適切で主イエスの教えを人々の心に伝えるのにふさわしい手段と思われます。しかし人々はたとえで語られても、なお心を閉ざしたままなのです。主イエスが奇跡をなさり、人々がそのしるしを見ても、ある人々は信じ、ある人々は信じなかったのです。
[4]結び
パウロは、今ロ-マで福音を聞いたユダヤ人たちの態度を目撃しながら、ダマスコ途上の経験以来の三十年に及ぶ福音宣教に専念して来た日々を思い起こしたに違いありません。そしてイザヤ6章9節と10節を中心に、イザヤの生涯を思いめぐらし、何よりも主イエスの地上での歩みを思い、以前自分がそうであったように、かたくなな人の心を直視したと考えられます。出エジプトの荒野の旅以来(申命記29章3、4節)、イスラエルの歴史において、人々の心のかたくなさが明らかにされて来ました。
しかも人々一般がそうであるばかりでなく、預言者イザヤ自身が「ああ。私は、もうだめだ」と告白せざるを得ず、パウロ自身も罪人の頭との深い自覚を持っていました。
しかし恵みの神は、イザヤを用い、パウロを用い、心かたくなな民に六十年、三十年語りかけ、呼び掛け続けられたのです。
この事実を覚え、パウロは語り続けざるを得ないのです。あるユダヤ人たちが拒絶しても、異邦人たちへ。そしてユダヤ人たちへも続けて。
幼子主イエスを抱き、あの老シメオンは神をほめたたえました。
「御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です」(ルカ2章31、32節)
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。