忍耐によって
ルカの福音書21章5~19節
[1]序
ルカ21章1~4節から5節以下への移行については前回も注意しました。主イエスご自身が一人の貧しいやもめに目を注いでおられるのに対し、宮のすばらしさやそこで行われている儀式の荘厳さに圧倒されている弟子たちの姿。この弟子たちに、「石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます」(6節)とエルサレムの陥落や宮の崩壊について主イエスははっきり指摘なさいます。いつそのようなことが起こるのかどんな前兆があるのかとの質問に答える、主イエスの教えが8節以下に記されています。マタイの福音書24章やマルコの福音書13章などと同様、終末・終わりのことについての教えです。
[2]「惑わされないように気をつけなさい」(7節~11節)
(1)まず全体の内容を大きく見ます。
①8~11節、偽預言者や戦争、これらを最後のしるしと誤認する危険。しかしそれらは最後ではなく、なお戦争があり地上でも天でも激動があるのです。
②12~19節、「これらのすべてのことの前に」(12節)、キリストの弟子たちは迫害を受ける。しかし主イエスご自身が与える助けに頼る道(15節)。
③20~24節、エルサレムが軍隊に包囲され、ユダヤ人とエルサレムが激しい痛みを経験。異邦人の支配の期間。
④25~28節、天にまた地に前兆、その後人の子の栄光に満ちた来臨。
以上に続いて、29~33節では、しるしの後に最後、主イエスのことばの確かさ、必ず成就することを指摘。34~36節では、突然の来臨への備えについての警告。
(2)惑わされないように気をつけるべき、二つの点
①「わたしの名を名のる者が大ぜい現われ」(8節)、偽キリストの出現(7~8節)。このような現実の前に、パウロと共に、「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい」(Ⅱテモテ2章8節)。
②「戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません」→「それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません」。時、歴史について正しい理解を持つ必要があります。その一つは、「今」についてはっきり知り、大切にすること。
(3)より大きな災害も、最終的な終わりのしるしではない(10~11節)
9節にあげているバレスチナ地方におけるものばかりでなく、さらに広範囲な地域でのことでも、また地上でのことだけでなく「天からのすさまじい前兆」(11節)が現れても、終わりでないのです。
[3]「忍耐によって」(12~19節)
(1)「これらのすべてのことの前に」(12節)、主イエスの弟子たちは迫害に直面。主イエスに従う道は、十字架の道です。
(2)困難が「機会」。「それはあなたがたのあかしをする機会となります」(13節)。
①機会を生かす。不可能と困難は違います。Ⅰ歴代誌22章6~19節に見る、ダビデの場合。「私は困難な中にも」(14節)。「悪魔に機会を与えないようにしなさい」(エペソ4章27節)との警告の意味。私たちが機会を生かさないと、悪魔に機会を与えることになる。
②14節の意味。準備でなく不安。この不安からの解き放ち。主イエスの約束、「ことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます」(15節)。参照マルコ13章11節、「話すのはあなたがたではなく、聖霊です」。18節の主イエスの約束の意味、「中には殺される者もあり」(16節)との関係に注意する必要があります。この点については、ダニエル3章16~18節、ピリピ1章21節、ヘブル11章33~35節前半と35節後半~38節の関係、「剣の刃をのがれ」(34節)、「剣で切り殺され」(37節)など参照。
(3)「忍耐によって」
①「忍耐」は文字通りには、「・・・のもとにとどまる」
忍耐しつつ、主を待ち望みながら悪と戦い積極的に辛抱する。「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ4章7節)。
②聖書全体の中での忍耐についての教えと勧め
代表的な聖句として、ロ-マ8章25節、Ⅰコリント10章13節、Ⅱコリント4章7節以下、ヤコブ5章11節など。
[4]結び
(1)聖書の教える終末、終末論
終末の教えと生き方の切り離し得ない関係。生き方、備えの生活。地味な日常生活の中での良い習慣の確立。基本的には地味な歩みです。このような生活と生涯から生まれ、多くの人々に励ましと慰めを与え続けている、F・J・クロスビー作詞による聖歌。その一つ、590番をもって賛美したいのです。F・J・クロスビーは、目の不自由な中で高齢に至るまで喜びと忍耐の歌を歌い続けたのです。
(2)救いの豊かさ
「あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます」(19節)。主イエス・キリストにある救いは、単に一時的なもの、一面的なものではありません。全人格におよび全生涯にわたるものです。
主なる神の救いのご計画の豊かさは、例えば、ローマ人への手紙8章30節などに明らかにされています。救いの豊かな内容全体として、しかも私たちの生涯における経験の順序を考え、次のような側面を考え得ると言われています。
・有効召命
・再生
・信仰と悔い改め
・義認
・子とすること
・聖化
・聖徒の堅忍
・キリストとの結合
・栄化
この中で、聖徒が最後まで堅忍する救いの側面とルカ21章19節とがかかわります。迫害や様々な困難な中でも、最後まで堅忍するように、主イエスが助けを与え備えをなしてくださいます。この恵みの約束に答え、私たち一人一人、どんなことについて、「心を定め」(14節)る必要があるのでしょうか。まず心、そして生活、生涯に。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。