祈り ― 主イエスの教え ―
ルカの福音書18章1~14節
[1]序
ルカの福音書18章1節から14節までを1節から8節と9節から14節の二つの部分に分け、主イエスが祈りについて教えておられるたとえを味わいます。
[2]いつでも祈るべき(1~8節)
(1)たとえの目的
「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために」(1節)。17章22節以下に見た、「人の子」の日(主イエスの再臨)の望みに生かされる弟子たちを整え、備え励ますため。
(2)たとえの第一の中心
「神を恐れず、人を人とも思わない裁判官」と主なる神を比較して、「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか」(7節)、「神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます」(8節)と、主なる神がどのようなお方であるか明らかにしています。真の審判者としての神の公平なさばき。
(3)たとえの第二の中心
やもめの姿を通して、主イエスの弟子がいつでも祈り続けるべきかを教えています(1節)。祈りに対する励まし。
[3]パリサイと取税人のたとえ(9~14節)
(1)たとえは、だれに対して語られたのか
「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対して」(9節)。
(2)パリサイ人の祈り(11、12節)
①自任、12節。
②見下し、11節。
(3)取税人の祈り(13節)
①自覚
神の御前に立ち得ない。何の誇るところもない罪人として、罪の赦しの必要を持つ者としての自覚。
②神のあわれみを求める信仰
自分の義ではなく、主なる神の義に寄り頼む信仰。
(4)たとえのポイント
「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」(14節)
[4]結び
11章1節には、主イエスの弟子たちが祈りについて教えを求めている姿。彼らに、「主の祈り」が示されました。祈りの内容を中心としての教えです。
ここでは、主イエスご自身の方から弟子たちに祈りについて教えておられます。持つべき自覚をもって失望せずに祈るべきことを。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。