家に帰って
ルカの福音書8章26~39節
[1]序
ルカの福音書を読み進めて行きます。私たちの生涯が、主イエス・キリストの再び来り給う『主の日』を目指し、備えであるように。週日の生活全体をもって主日礼拝への備えを。
今回は8章26~39節に焦点を合わせて行きます。マタイ8章28~34節、マルコ5章1~17節参照。
詩篇107篇23~31節を最初にお読みします。ここでは、嵐をしずめ、港へ導く主なる神の恵みと人の子らへのくすしい業が結びついて、主なる神の御名が崇められています。
私たちも8章25節までの自然界の嵐と、今回の箇所に見る人格の中に生じる嵐、そのいずれをもしずめる主イエスのみことばの権威を覚えたいのです。
[2]「正気に返って」(35節)
(1)「ゲラサ人の地方」(26節)
「ガリラヤの向こう側」。異邦人の地。主イエスが進み行く地はどのような場か。
(2)この人の状態
マルコ5章3~7節参照。詳しくこの人の状態を描く。
①人々のこの人に対する態度
押さえ込もうとする。抑圧。しかしそれができないと、隔離する。
②本人の態度
人々から離れる、孤立。隔離と孤立は、自己破壊へと。自分自身を傷付ける。マルコ5章5節、「石で自分のからだを傷つけていた」。
(3)目に見える現象を正確に見ると同時に、その背後の原因の指摘
「汚れた霊が何回となくこの人を捕らえたので」(29節)。「神の像」として創造された人間の人格をゆがめ、ついには破壊しようとする汚れた霊の働きを無視したり、軽視してはいけないことを教えられます。しかし何より大切な事実は、自然界の嵐、また人格の中に吹く嵐をしずめなさる主イエスの権威です。
【マタイ28章18節】イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」
【Ⅰペテロ3章22節】キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
(4)「正気に返って」(35節)
①着物を着る
着物を着せるとは、当時愛をもって覆うことを意味していたと言われます。あの放蕩息子に着物を着せた父親の場合のように(15章22節)。
②「正気に返って」
この言葉は、新約聖書の他の箇所では、以下の箇所でも興味深く用いられています。
【ロマ12章3節】だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。
【テトス2章6節】同じように、若い人々には、思慮深くあるように勧めなさい。
【Ⅰペテロ4章7節】万物の終わりが近つきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
(5)人々の反応
一人の人が正気に返ることと、二千頭の豚という犠牲に対する価値判断。
[3]「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」(39節)
正気に返ることを許された者が生きる道。
(1)「家に帰って」
(2)「町中に」
[4]結び
(1)現象を出来るだけ正確に詳しく見る目と態度。その背後の原因・理由を見抜く洞察力。それらのことを通して、主イエスの権威を事実にそくして知る必要があります。また主イエスの権威を認めることによって、現象を正確に詳しく見る目を養われ、背後の原因・理由を見抜く洞察力を与えられるのです。
(2)39節、「神があなたにどんなに大きなことを」→「イエスが自分にどんなに大きなことを」。主イエスは神。主イエスに解き放たれ、正気に返った者として、聖霊ご自身の支え、助け、導きを受けて、聖霊の実を結ぶ生活と生涯(ガラテヤ5章1、13節を中心に5章全体)、家で町で。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。